日記
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2001年08月06日(月) 大切なものを お金と引き換えに手放せますか?  自分の孫より お金を選んだ人達がいます

川平慈英を好きな人なんていないだろ、と思いながらも
世の中には色々な価値観が存在するのだろうと改めて思ったりも。
バレーだのサッカーだの陸上だののイベント毎に出てくるって事は
やはりそれなりに必要とされてるって事なんだろうし。
とにかくみのもんたと川平慈英は嫌いだーー。
誰が何と言おうとだめなものはだめ。
でもね、個性があるってとってもステキな事なのよ。一応。


この夏も無意味に只無意味に過ぎてしまいそうな予感と、焦り。
とりあえず、お盆で新幹線が混み合ってしまう前に帰省の予定。


高原にドライブ、ひんやりした空気に触れて深呼吸したり

夜の海岸で花火をしたり

地元の居酒屋とファミレスとゲーセンとカラオケ
行けば必ず知ってる顔に会うくらいのせまーい地域

近所のまずーい焼肉食べ放題の店に仲間と行くのも毎年恒例
結局食べきれなくて網の下に落とすのも・・・・

友人宅で無意味にだらだらくつろぐのも
そして車を使わずにわざと歩いて買出しに繰り出すのも
その時の夏の空気とか

夜明けに朝日に向かって車を飛ばすのも

涼しいから、と無意味に近所のジャスコをうろうろするのも(笑)


いつもの夏と同じで、
でももう二度と来ない夏



佐渡に帰省する友人と都合が合いそうなので、
2泊3日の佐渡旅行も予定。
佐渡はね、すっごく海が綺麗なんだよ。
私が住んでいた頃はコンビニもなかったの。勿論今はあるけど。
TSUTAYAとかモスは昔からあったよ。マックはなかったなぁ。



特別な事など無くても 無意味な事ばかりでも
むしろゆったりと過ぎる時間の流れに
ただ身をまかせていられるのなら それだけできっと



自宅から車で10分の所に、父の墓があります。
そう、亡き父の実家は、皮肉にも今私の家族が住んでいる場所と同じ地域

去年、10年振りに お墓参りに行ってきました。
と言うか、母に無理を言って連れて行かせました。
私の記憶では、墓地の場所は何となくわかっていても、
お墓の場所までは思い出すことが出来なかったので。

母は、「もう二度とここには来ないからね」と言いました。


お盆にお墓参りに行かないのは、
亡き父の親戚、特に両親と会わないようにする為。
昔も、いつもお盆や命日をずらしてお墓参りに行っていました。

もう、他人なのです。


正確には、”お墓”はそこだけではありません。
全く別の場所の納骨堂に、
「私達家族の為だけの」父のお骨があります。
本来なら、私たちはそこにお参りに行けばいい、
だからもうここには二度と来ないよ、と言うのが母の言いたかった事でした。


更に母は、納骨堂に納めたお骨を、
父の両親がこっそり抜き取りに来るかもしれないからと、
その中の一部を分けて、自分の手元に置いていた時期がありました。

結局そのお骨は、海に流しました。
母が何を思ってそうしたのかは解りません。
その話を聞いてから、
私は海を見るたびに父を想ってきたから
寂しい時に一人で海を見に行った事もあるから
わたしはそのあまり綺麗でもない海岸が
どうしても忘れられなくて
夏になると必ず見に行ってしまうのだろう。


そんな話を友達にした事は1度も無いけれど
海を見つめる私を 哀しそうだと言った人がいました。
何言ってるの と笑って誤魔化した私。



大切なものを、お金と引き換えに手放せますか?
例えば、自分の孫より、お金の方が大事だと思えるものですか?


私は血の繋がりに複雑な思いを抱きながらも
それでも「血の繋がり」自体を信じられないのは、
そんなもの何の意味もないと、知っているのは



亡き父親の両親と、私達家族は13年以上絶縁状態にあります。
葬式にも行きません。


「人間は結局、お金なんだなぁ」と、小さい頃に思い知った事。
それは一つの「真実」だと思います。
世の中は綺麗事では片付かないものだと。
でも誰かにそれは違うと証明して欲しい
そんな思いで一杯でした。ずっとずっと。



亡き父は一軒の家を残していました。
自分の実家の近くでもなく、全く違う新しい土地に
(母の実家と同じ市内でした。)

自分の両親と同居するつもりも無く、家族4人の為に建てた家

でも、彼等は絶対に同居すると言い出しました。
今まで住んでいた家(古かった)を取り壊し、
土地はそのままにして、移り住んできました。

その際、同居する為に、狭い庭を削って無理矢理「建て増し」しました。
そのせいでその家の庭はとっても狭いのです。


しばらく同居していました。
しかし、父の転勤で私達は他県へ引っ越しました。
彼等はそのまま住み着いていました。


父は発病。亡くなりました。


しばらくの間、私達はまたあの家で同居していました。
しかし、私達が出て行くことになりました。

同居中、母が彼等に「いびられて」いるように見えたのは
私も何となく覚えています。
彼等には孫は私達しかいなかった為、
可愛がって貰っていたような気もしますが、
子供ながらにどうしても好きになれない人達でした。
泣いている母を見ていたからでした。


父の看病で体を壊し、病院通いを続けていて
しかも4歳と6歳の子供を抱える母親に、
すぐに働いて生活費を入れろと喚き、
光熱費も食費も父が死んだ月から、1円単位で計算して請求してくるような
そんな人達でした。


しばらく母の実家で生活し、
その後近くにアパートを借りて引っ越した事は
以前にも日記で書いた事もあったでしょうか。


その頃から既に裁判という話になっていて、
もう彼等に会いに行く事も、遊びに行く事も二度とありませんでした。

学校の帰り道、待ち伏せされていた事は何度もありましたが。



裁判は結局、
彼等があの家に居続ける権利を主張した事と、
父が残した家を、私達子供の為に守りたかった母との争いでした。

彼等の主張は、
「建て増しした際の金は自分達が払っている。(数百万円)
 つまりあの家の一部は自分達のもの。」
「出て行ってやってもいいが、元々住んでいた土地に
 新しく家を建てるから金を出せ。」
というものでした。


結局、1千5百万円で、話はつきました。
今後一切、私たちとは縁を切る、と言う条件付きで。



その後、新しい父の転勤などで、住所が変わっても、
手紙を送ってきた事も何度かありました。
何処で調べたのか知りませんが。

家に送っても母に読まれて捨てられてしまう、と思ったのでしょうか。
学校に送ってきた事も何度かありました。


子供だから何も解っていない、とでも思っていたのでしょうか。
綺麗事、まるでいかにも孫思いの祖父母らしく並べられた
見せ掛けだけの偽物の言葉は、
何も私の心に響くものなどありませんでした。

それでも一つだけ憶えていた一文があって。

それは、

自分達の住んでいる家の近所には広い公園があって、
その公園には大きな噴水があって、とても綺麗なんだよ。
ぜひ、新しい家に遊びに来てちょうだい。

と言うような内容でした。


その新しい家は、母が払ったお金で建てられたものなんだろう、と思うと
そこに遊びに来いなんてよく言えるよな、と
子供ながらに本当に呆れ果てたものでした。



その、「噴水のある公園」の近くにある高校に
私が通う事になったのも本当に皮肉な事でした。
運命は本当に悪戯で。
母は、「絶対にあの土地にだけは引っ越したくない」と言って、
最初転勤の辞令が出された時、父は断ったくらいです。
それで、とんでもない場所に飛ばされたりしましたが。
所謂左遷って奴ですね。
あれで、父は出世コースを完全に踏み外したんだとか(笑)

そこまでして、避けていた土地だったのに、
次の転勤の辞令が出たのもその土地でした。
今度はもう、断る事など出来なかったのです。



もし、最初の転勤で移り住んでいたら、
またすぐに他の土地へ転勤で引っ越していた筈でした。
高校も、全く違う土地で、卒業していた筈でした。
現在のように、家を買って長い間暮らす事など有り得なかった筈なのです。
私がこうして毎年帰省する場所になるなんて
考えもしなかった事なのです。

運命は本当に、何処までも皮肉で。
どうして追いかけられなければならなかったのか。



可愛い筈の孫より、お金を選んだあの人達の存在に。

結局そんなに、大切ではなかったという事なのでしょう。
そもそも、亡き父とその両親自体が、不仲だったのです。
だから、最後まで同居を嫌がったのは、他でもない父でした。
結局、「長男だから」という理由で押し切られてしまったのだけれど。



自分の死期が近いと解ってきた頃、
繰り返し母に言っていた事


何があってもあいつらに頼るな
何があってもあいつらから 子供達を守ってくれ



実際、父の入院中も、殆ど何もしてくれないような人達でした。

お金の為にしか、動けないような人達でした。

葬式の時にさえ、金の事で色々と文句をつけてくるような
そんな人間でした。



それなのに綺麗事を並べ立てた手紙など送ってきたのは何故でしょう。
しかも、弟には殆ど寄越さず、私にばかり。

私にはそうやって言い訳をしたかったのですか?
自分達を正当化させたいなどという気持ちがあったのですか?
何の為に?今更・・・・・


子供は何も知らないと本気で思っていたのですか?

子供は傷付く事など無いと思っていたのですか?

子供はどんな事があっても自分達を慕っている筈だ、
自分達に逢いたがっている筈だ、なんて、思っていたのですか?

それとも、自分達は何も悪くないと
本気で思っていたわけではないですよね?
いくらなんでもそこまで図々しくは無いですよね?



あなた達の顔は、今でもちゃんと憶えていますよ。
家にはあなた達の写真など一枚も無いけれど
忘れようと思っても、忘れられやしません。


いつかのうのうと会いに来たりしたら、
絶対に殴ってやろうとずっとずっと思っていました。




「この世で血の繋がりなど、何の意味も持たないのだ。」

この世は結局お金が全てですか?
違うと言うのなら、誰か私に証明して見せてよ。





心穏やかに生きていたいと思っていても
誰の事も憎まずに生きていたいと思っていても



どうしても赦せぬ人達がいる



yuri |MAIL

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