日記
【一覧】【いままで】【これから】


2001年08月03日(金) 人の強さとか弱さとか

押さえ付け続けてきた苦しみの塊を
無理に吐き出そうとすればするほど
苦しみが増すのは何故だろう


なーんて


人間は、苦しみに向かおうとすればいくらでも苦しい世界に漬かる事は出来るし
前向きに生きていれば何があっても明るく生きる事が出来る。
「病は気から」ってよく言うけど、心の病気も、気の持ちようだと思う。
(本当の心の病気とは、自分の意志でどうにかなるような
 単純なものではないみたいなので、そんな簡単に言えないけれど。)

自分の環境や運命を嘆くより、どんな状況でも笑っていられる 強さを。


ただ、いつもいつも笑っていても、きっとどこかで歪みが出てしまうから。
人前で、苦しさを表に出す事など出来ない人間は
こうして文章にしてみる事で少しほっとするのだ。


いつも愚痴ばかり吐いている人間は大嫌いだ。
いつも自分がいかに不幸か嘆いてばかりいる人間は大嫌いだ。

誰かに聞いて欲しいのなら、いくらでも聞いてあげる。
でもね、あなたはそうやって吐き出すばかりで
自分から何かを変えようとはしないの?


「強さ」を全ての人に強要するつもりなどさらさら無い。
大体、その「強さ」の基準だって、「幸せ」の基準だって
人それぞれの価値観とか、生き方とか 一人一人違うんだ。

強く生きる事、前向きに生きる事が 絶対的に正しい真実だとは言い切れない。


強くは生きられない人もいる
心の病気で自分ではどうにもならなくて苦しんでいる人もいる

充分すぎるくらい頑張っている人に対して
「頑張って」という言葉は苦しみを増幅させてしまうだけで

「強くなって」なんて言葉は傷付けてしまうだけに過ぎなくて


私は自傷行為を嫌悪する。
弱さを理由に自分を傷付ける醜い行為は大嫌い
「リストカット」なんて言葉、連発して
大体死ぬ勇気なんて無いの自分で解っていて単に自分の身体を傷付ける事で
安心感を得る

何より嫌なのはそんな自分を悲劇のヒロインか何かだと思い込んで
そう、「リストカット」なんていうキレイなカタカナ語で美化してしまっている事。

ちょっと言い過ぎかな。
でも、そう感じる事はある。そうでない人にとってはね。
これは、心の病気で自分ではどうにもならない人の事ではありません。
そうではなく、自分から不幸な世界にどっぷり漬かる事で
安心感を得てしまう、現実から逃げてしまっている人の事。
そんな自分に酔ってしまっている人。大嫌い。


これを読んで、強者の論理だと腹を立てる人もいるだろう。
何も解っていないくせに偉そうな事を言うなと苛立つ人がいるだろう。
そう思われるであろう事、解っていてあえて書いた。
傷つけてしまったら御免なさい。


私はいじめに遭った事は無い
何度か転校もしたけれどその度に友達はたくさん出来たし、
周りの環境にも恵まれていたけれど
私は自分自身で努力はしてきたと思っている。
精一杯頑張ってきたと思っている。
私は根拠も無くいじめられない自信があった。昔から。
やられたら3倍にしてやり返してやる、位の勢いのある子供だったので。
さすがに今ではそんな勢いは無いなぁー―ー。


だから、いじめで自殺してしまう子供の気持ちは解らない。
そう、経験が無い人は解らない。
解らないのだから、何も言う権利は無いのだろうけどね。

私の通っていた中学校でも、遺書を残して首を吊った子供がいて、
マスコミが押しかけて大騒ぎになっていた事もあった。

クラスでいじめが無かったわけじゃない。
そんなものどこの学校にもあった。日常茶飯事だった。

中1の時に転入した学校は、どうしても好きになれなかった。
女の子同士の、陰口、悪口、特に酷かった。
どうして、いつも一緒にいる子の悪口を、他の子の前では言うのだろう。
じゃあ何で一緒にいるんだろう。と、私が疑問に思うくらい酷かった。
何しろ転校生というのは、最初は様々な”グループ”と接触する機会が
あるものだから、どうしても客観的にありありと見えてくる。
悪口しか話す事が無いのか?と思ったけれど
転校生というのは悲しいかな、かなり立場的に不安定な位置にいる。
そんな事顔には出さずに皆に合わせていた。

それは凄く疲れることだった。私は何気なく、皆と一緒にいる時間より
一人でいる時間を増やすように努めた。皆に気付かれぬくらいにそっと。
私だって一人でいるのは恐かったのだ。
これで突然ハブられたりでもしたらどうしようと思わなかったわけではない。
それでも楽しくも無い無益な会話を続ける事は私を疲れさせたし、
例えばクラスの人間関係が上手く行かなくなっても、
別に2年生でクラス変えもあるし。だから大丈夫だと思っていた。
と言うか、結局自分がいじめられない自信があったって事なんだけど。
でもその頃の私はいつも暗い顔をしていただろうきっと。
ある時一人でボーっとしている私に話し掛けてきた女の子がいた。

彼女とは、誰かの悪口とかではなく、普通の会話をした。いつも。
そんな子もいたんだ。気付かなかっただけだった。
自分から心を閉ざしてしまいそうだった所を彼女に救われた。

そう、皆が悪口ばっかり言っているのが嫌なら、自分は言わなくていいんだ。
むしろ他の話をするように持っていけばいい。自分で変えていけばいい。
そんな簡単な事に気付いてからは楽になった。

私、そんな良い人でもないし人間も出来ていなかったから
別に「悪口」が嫌いだったわけじゃない。
嫌いな奴は嫌いだった。「あいつむかつく〜!!」って言うのが口癖みたいだった。
嫌だったのは、そんな悪口だけで繋がっているような人間関係。

結構人の好き嫌いが激しい子だったので、
きっと知らぬ間に傷付けて来た人はたくさんいるだろう。

私は基本的に、学校大好き友達大好き、自分の家嫌い、で生きてきたから
学校に行きたくないな、と思った事ってそんなに多くは無いのね。
だからね、登校拒否する子って、きっと家の居心地がいいんだろうなー
とか、勝手に思ってた。いや、何も知らないからさ。
うちなんて、登校拒否したいなーとか冗談で言ってみたら、
「毎日家の掃除洗濯食事の用意犬の散歩全部やりなさいよ。勿論朝早く起きて
 お父さんとお母さんのお弁当作るのよ。学生のくせに学校に行かないなんて
 怠け者は、働かなきゃご飯食べられないんだからね!」
とか言われて、ひーーそれなら学校行って寝てる方がよっぽど楽だわ〜〜〜
なんて思ったこと憶えてる。


何だか話が飛んでしまった。
そう、いじめ?
いじめに遭った事の無い私は、
何も学校に固執する事無いじゃない、と思う。
学校でいじめられたからってどうして自分の人生全てを諦めてしまえるの?
でも、子供にとっては学校が全てで。
親だって、「学校に行け」と言うだろう。
登校拒否なんて恥ずかしい、と思う親も多いだろう。

むしろ私が心配なのは、
行動に移せる子、じゃないんです。
登校拒否する勇気さえ持たずにただじっと耐えている子です。
逃げて良いんだよ、と言ってあげたい。(自殺は違うよ)
逃げられる場所がない子もいるんだろう。
家庭に安らぎの場所など持たない子供もいるのだろう。
無力な私に何も言う権利はないんだろう。
ごめんなさい。


でも、死ななくっても良いじゃない。
あなたの人生はそれが全てじゃないのに。
まだずっと続いていく道を、どうして今と変わらず不幸だと決められるの?


「どうして自殺してはいけないのか」という疑問に
ちゃんと答えられる人はいるだろうか。

私には上手く答えられない。
むしろ、そんないじめごときで自殺するような弱い人間は
これからもっともっと辛い事がたくさんある人生を、
生きていくのは無理かもしれない。
そんな風にも思ってしまうどこまでも優しくはなれない人間です。

自殺はいけないこと。私はそう思っている。

でも、全ての自殺を悪であると否定する気持ちも無い。
そう思うようになったのは大人になってからなんだけれど。
もうどうしようもなくて、どうしようもなくて、生きていくのが辛くて苦しくて
自分の人生を自分で終わらせようとする人に何も知らない私に言える事なんて無い。

「死んだら悲しむ人がいるのに」という言葉もあるが、
じゃあ身寄りも無く友達もいない人は自殺して良いのか?と言えばそれも違う。

人の命は尊いの。
でもそれを説明する方法なんて思い付かない。

「生きたくても生きられない人もいるのに」と思う。
そう、私の父親のように。
でも、そんな事自殺したい本人にとっては何の意味も持たない言葉なんだろう。
自分の命なんだから自分でどうしようが勝手だろ、などと
言われてしまえば確かにそれもそうだしなー―、と私も思う。
でも、線路に飛び込むのだけは止めて頂戴ね。


ちょっと生きてみれば良いのに。
もう少し頑張ってみたら良いのに。
諦めたらそこで終わりになっちゃう。
何も、頑張るばかりじゃない。
ちょっと、休んでみたらいい。
そうしたら、今まで見えなかったものが見えてくるかもしれないから。


人の命は尊いの。
でも私は死刑廃止論者ではありません。
人の死を他人が決めるという行為が正しいのかどうかは別として。
例えば自分の子供を殺された両親が
その殺人犯の死刑を願う事に何の疑問も感じません。


命の問題って難しい。
正しい答えなんて無いから難しい。


本当に苦しんでいる人って、
日々生きる事で精一杯で、
頻繁に手首やら腕やら切ってる暇なんて無いと思うのね。
だって本当に死にたかったらちゃんと死ねる方法選ぶでしょ。

そうやって表面に出せる人より、
何でもない振りして、精一杯生きている人の方がずっと辛い思いを抱えて
生きているのだと思うのね。
どんな辛い事にでも立ち向かっていける強い人の方が、
逃げている人よりずっと色々なものを抱えていると思うのね。

だけど私はそうなりたい、と思う。
まだまだ私も、逃げている事の方が多いけれど。
甘えている事の方がずっとずっと多いけれど。


私だって自殺したくなる事が絶対に無いとは言い切れない。
例えば事故で下半身不髄になってしまったら?
耳が聞こえなくなってしまったら?
目が見えなくなってしまったら?
(障害を持つ方への差別みたいに聞こえたらごめんなさい。)
衝動的に、包丁を手首に当てているかもしれない。
これから先の未来が、真っ暗になってしまったと感じるかもしれない。
世界でたった一人、自分だけが不幸なんだと思わずにはいられないかもしれない。
「私は何があっても強く生きる」なんて、そんな時でも言い切れるのか
正直、自信が無い。


ちょっと例が極端過ぎたかもしれないけれど。
私は、死にたいと思っている人を非難したいわけじゃない。
でもやっぱり、私はその人じゃないから、「理解」する事は無理。
「理解」なんてそもそも傲慢な考えで、
だから「理解」したいなんて思っているわけでもない。
ただ、 もう少し生きてみたら、あなたには幸せな未来があるのに。 と思う。
だから、  「負けないで」
幸せになって欲しいと願う。




 「お前なんか死んでしまえ!」
 「あんたなんか産まなきゃ良かった!」
 「あんた達さえいなかったら、私はもっと幸せだったのよ!」
 「お願いだから早く死んでちょうだい!」
母に何十回も投げつけられた言葉。 泣き叫びながら吐き出した母。
弟は私よりもっと・・・・多分千回以上、言われ続けて育った。
元々曲がっていた彼がますます曲がって育ったのは母のせいだと断言できる。
彼女は今でも認めないけどね。


彼女を責める事は出来ません。
私達がいなかったら、彼女はもっと幸せになれていたのだと思うから。
でもさ、勝手に産んだのそっちだろ、とも思うんだけどね。
彼女曰く、「親は子供を選べない」だそうで。
それを言うなら、「子供は親を選べない」だろ、って感じなんですけど。


彼女は何もかも思い通りにやろうとした。
結局、何もかも上手くいかなかったんだけどね。
不満も憤りも全て弱いものにぶつけられた。
「あんたは私が産んでやったんだから全部私のいう事を聞くのは当たり前」
そう言って服従させようとしたけれど・・・・・

いっそ死んでしまえば楽になれる
そんな風に思った事もあったのかもしれない
そうすれば彼女は自分の過ちに気付くだろう と

でも私はそれより、生きてやるという気持ちの方がずっと強かった。
私はわかっていた。
進学すれば家を出て自由になれると知っていた。
学費を出してもらう必要があった。
受験勉強なんてする気はさらさら無かったが、
とりあえずやっている振りだけでもしておく必要があった。
後は何を言われても黙って流して聞いていればそれで良かった。
別に大学じゃなくても良かったわけだが、4年間の自由は魅力だった。
早く働いて自立しよう、と言う考えは全く無かった。
高卒で女一人で渡っていけるほど世の中甘くないと解っていた。
その辺のバカな男に頼っても幸せになれないと解っていた。
そんな風に自分を納得させてからは、最低限上手くやっていける努力を
自分でもするように努めた。もう、死ねとは言われなくなった。
その努力は今でも続いている。最近はすっかり板に付いたよ。
卒業するまで続けるだろう。
それから先の事は解らない。
でも、私はもう母を恨んではいない。
憎む事で強く生きてきたと思う。その事に今は感謝している。
もし私がいつか・・・・母親になる日が来たなら、
この人を反面教師にして決して子供に何も押し付けずに育てよう、と。
精一杯誉めて育てよう、と。そう思わせてくれた事にも。感謝している。
彼女は彼女なりに、精一杯だったのだと今は解る。
でも、彼女の全てを赦せる日がいつか来るのか。
私には未だ解らない。解らない。

彼女が死んだらきっと何もかもゆるせるんだろう。






最近日記書き終わると何だか疲れてるな〜と思ってたら、
長過ぎなんですね。こりゃ読んで下さる方も大変だわ。ごめんなさい。
最後まで読んでくれてありがとうございます。



yuri |MAIL

My追加