日記
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2001年07月19日(木) |
『不良債権最終処理=家庭の崩壊』 を憂える? |
題名はカタイけど大した事書いておりませんのであしからず。
7月4日から新聞を取っていないので 経済&政治 等の流れがいまいち解りません。 と言うか、取っていた時も別に「解って」はいなかったんですがね。 6月末にこんな記事がありました。 「不良債権最終処理で離職者39〜60万人」(内閣府試算)
今日ふと思い出したのでその時感じた事を書き記しておこうと思いました。
離職者のうち、再び職に就く人や、再就職するつもりのない人を除くと、 失業者の発生は 13〜19万人 と見られている。
業種別にみてやはり不振の建設業、卸・小売り業、サービス業などが多い。
しかし・・・・「食い違う予測」 民間では複数の調査機関が100万人を超す離職者が発生するとの 予測をまとめている。
ITや人材派遣などで新たな雇用創出をするといっても、 肝心の当人達に新たな場で再スタートを切る能力があるものかどうか?
私には難しい事は何もわからないし知識もないけれども、 無駄なものを切り捨てて、効率化を図って、企業自体が そうして努力していかなければもはや生き残っていけない。 身近な例として、今気を吐いているユニクロやマックや それに伴って競争が激化する牛丼屋や大手スーパーやファミレス・・・・・。 大手メーカーにしたって、どんどん改革を推し進めて、 何とか国際的な競争力を着けていかなければ、と必死になっている。(多分)
それは必要な事だし。 消費者にとってもある程度は歓迎すべきものだし。
常に努力する事。 それは誰もが認める正しい事。
能力のある人はより自分を高める為の環境を求めて転職を繰り返す。 常に努力する姿勢を忘れない、それはとても凄い事だと思う。
じゃあ19万人の人生は? 只の負け犬、なんだろうか?
努力してこなかった、とは言えないと思うのだ。 例えば50歳まで、会社のそれなりの自分の居場所で自分にできる事を 精一杯やってきた人もいるだろうと思う。 転職なんて、考えた事もなくて当然だろうし。 日々の仕事と生活で精一杯。今を生きる事で精一杯。 それなのに突然「明日」が無くなってしまった人は??
ま、こういう考え方は、「古い」「甘い」って事くらい解りますけどね。 だって仕方ないもんね。
10年くらい前にバブルが崩壊して。 しかし私の周りに直接的な被害があったわけでもなく。
ここ数年で、地元の建設関係の会社が次々と倒産している。
うちの近所の、弟の小学校の同級生の、大きな家。 地元では割と大きな、工務店を経営していた。 夜逃げしたそうで今は誰も住んでいない。 まだ中学生の、妹がいたはず。
高校の同級生の女の子。 大学に入ってからは連絡を取り合っていなかったが、 アメリカに留学してるらしいと聞いてはいた。 留学中に実家の工務店が倒産したらしい。彼女はどうしただろう。
中学の同級生の女の子。 実家は内装関係の会社、と言っても社員4人程度の小規模なものだったけど。 先月、負債を抱えて倒産。やはり内装という、”下請け”なので、 親会社の倒産にはもうどうにもならなかったそうだ。 彼女はもう短大を出て働いているし、妹も高校を出て働いている。 でも、高校2年の弟がいる。 負債を抱えて倒産した以上、引っ越さなければならないそうだ。 もう生まれ育った家に帰れないのがどうしようもなく悲しいと、 そう言って泣いていた。
「仕方のない事」 そうやって言い切ってしまえればどんなに楽だろう。
結局のところ、私は痛みを受けた当人ではないので、 痛みなんて理解できない。 想像する事しか出来ない。 「痛みを伴う構造改革」だっけ? それ自体は必要な事だし、日本は変わっていかなきゃいけないのだろうし。 私の父親は、いわゆる大(規模だけ)企業に勤めていて、 まあ、あんまり偉くはないけど47歳という歳相応にそれなりの役職に就いて、 それなりの仕事をして。パソコンも一応使えて。 その企業自体は、例の「構造改革」によって恩恵を受け、 これからもそれなりに発展していく(はず)の業種なので とりあえずあと10年は潰れる事はないだろう、って感じで。
だから私にとっては結局どこか「他人事」なのだろうな。 偉そうに語る資格なんてないよね。
唯一つ、確実に言える事は、 父は自殺なんてしない。って事。 例え突然リストラされてもね。
凄く売れたという、某「乳製品」の、寓話? 私も去年の終わり頃に、友人の家にあったので読んでみた。(読まされた)
一体何処が面白いんだろう? そんな風に思ってしまった。 いや、実はあんまりつまらなくてちゃんと読んでなかったから どうも内容がほとんど思い出せないんだけどね。
「常に変化に対応できるように努力していく事が必要」 確かこんな内容だった??(批判してる割にうろ覚えですみません。)
まず、わざとらしい文章そのものが気に食わなかったんだけど(笑)
なんでチーズを求めていかなきゃならないの。 チーズじゃなくてほうれん草でもパンでも良いじゃないの。 (これはへりくつだけど、所謂比喩的なものですよ。) 無理に”チーズ”を追い求める事はないじゃないの。 それに何よりいつまでも迷路の中にいるなんて、何て馬鹿げてるの。 「この迷路の中から出て、全く違う新しい世界に行こう」 などという思考は最初から欠如している。(物語なんだから仕方ないことでも) 価値基準の転換。物事を違った角度から見る。 その方がずっとずっと大切。 チーズを手に入れたからって、幸せだなんてどうして言えるの? チーズなんかなくたって、幸せだと感じられる人はいる。 幸福の基準は、他人が決めるべきものではない。 ましてや、思考の停止の強要など、まっぴらだ。 あ、わざわざ「某乳製品」って書いたくせに、チーズって書いちゃってるよ。 まぁいっか。
ま、そんなわけで私は個人的にあの本が嫌いです。 その後次々と関連本が出たみたいですけど、読む気しません。
あれ?今日私は何を書きたかったんだろう?? 読み返してみたら、支離滅裂(笑) 全然まとまってない。思うがままに書いていたらこんな事に・・・・。 そのうち暇な時に、もう少し書き加えてまとめようかと思います。 って、誰も読まないと思うけどね。 日記なんて所詮自己満足。
最近ミスチルばっかり聴いていたから、 今日は気分を変えて、去年の秋頃?買ったサザンの ”Ballad 3”
やっぱり夏はサザンでしょう。 今流れているのは、かの名曲 ”希望の轍” サザンを聴きながら一人で海岸沿いをドライブしたい、なんて思うけれど いかんせん私は免許すら持っておりません(涙)
サザンと言えば、最近個人的にかなり面白い事がありました。 あ、多分私以外の人には面白くも何ともないと思うけど・・・。
夏の夜。 地下鉄有楽町線の某駅。 「親友」と2人。
(私は「親友」という言葉を多用する人は嫌いです。 そして、「親友」の定義自体が、解りません。多分、永遠に。 ここではあくまで、「一番親しい友人」の意で使用。)
改札を出て、地上へと上がる階段へ向かう。 その時、風が吹いた。前方から。
2人は、全く同時に、 ”波乗りジョニ―” を、歌いだした。(サビの部分ね)
数秒後、お互い顔を見合わせて、 大爆笑。
彼女とは、よくこういう事があるんです。 波長が似ているって言うか。 とっさに出てくる言葉が一緒だったり。 それぞれの家のシャワーカーテンが全く同じモノの色違いだったり。 同じマニキュアをほぼ同時期に買っていたり、とか。
洋服の趣味や、男の趣味なんかは、結構異なるんですが。
中2からの付き合いで。 クラスも、部活も、一緒になった事はないし、 高校も別だったのだけれど、何故か今でも一番繋がりがあるのは彼女で。 お互い、縁って不思議だね、なんて言いながら。
「親友って言葉自体が、嘘臭くて嫌い」と言う私に向かって、
「真理子は私にとって、一生で一番のかけがえの無い大親友」と きっぱりと、何の躊躇いも無く言い切ってくれる彼女の事を、 私も、「親友」だと、呼ぶことに何故かなったりしてます。 別になんでもいいんだけど。
これからも大切にしていきたいですね。
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