日記
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2001年05月31日(木) 女子高生だった頃を思い出してみる


地方の、一応進学校と言われる高校に通っていた。
進学校と言っても名ばかりで、所詮田舎の高校
しかもその地域では2番手だったので大した事も無い平凡な高校。
中学の頃は成績も良かったので当然1番の進学校を
受験するつもりでいた、私は
受験の直前、1月の終わりになって
進路を変更した。
怖気付いたのだ。
私は努力が嫌いだった。というより、したことがなかった。
頑張らなくても入れるところ
入った後も頑張らなくていいところ
何より、絶対に受かるという保障があるところ

万が一高校受験に失敗したら、
バカ私立高校の進学コースに進むしか道はなかった。
私は努力が嫌いなくせに変なプライドだけは強くて。
あのバカ私立の制服を着て歩くなんて出来ないと思っていた。
昔から、”他人からどう見られるか”ということばかり
気にしていたのだろうか・・・・それは今でもきっと同じ。


しかし、私は高校生活でその訳の解らないプライドの殻を
脱ぎ捨てる事に成功した。
そのおかげで(?)現在こうして三流大学で無意味に女子大生やっている。

成績は下から10番目くらい。多分。
勉強は全くしなかったけど、現代文と古典、家庭科の成績だけは良くて、
あとはまるでだめ。
被服でエプロンを作ったが1番早く出来た&完璧な出来栄え!であったので
暫くの間家庭科の教室の廊下のガラスケースの中で
マネキンに着せて飾られていた・・・・・。
でも被服って・・・全く役に立たないよね!


何しろくそ真面目な校風が全く肌に合わず、
とにかく学校に行きたくなかった。
周りとうまく馴染めない。溶け込めなかった。
しかし登校拒否などする理由もなかったし、親も厳しかったし
何より登校拒否などする人間は弱い、格好悪い、としか思えなかったので
私は基本的には午前か午後のどちらかは学校に行く事にしていた。
そうすればとりあえず、欠席にはならないので・・・・。
午前中は大概、ファストフード店で時間を潰していた。
一人の時もあったし、誰かと一緒の時もあった。
午後サボって帰る時は、カラオケに行っていた。
一人の時は、両親が共働きで留守なので、家に帰った。

2年&3年時の担任は若い女の人で、親にチクれるほど強くなかったので
何も言わずにおとなしくしていてくれた。
ただ、時々「真理子さん、あんまりさぼらないでね。」と言われた。
先生なのに、私の事は下の名前&さん付けで呼んでいた。

制服はおそろしくダサかった。
仕方が無いのでとりあえず普通にラルフの白のベストを着て、
伸ばしまくったルーズソックスを履いて。
現在ではほぼ壊滅状態(?)の”ポケベル”をシールで飾り付けて。
席は常に一番後ろだった。
毎月くじ引きなんだけど、いつも誰かが代わってくれていたので。

仲の良い友達はたくさんいたが、
その他大勢、のオンナノコ達には随分と陰口を言われていた。
やれ、男を取られた、だの
私が振られたのはあの女のせい、だとか。
は?ブスが何言ってるの?とか思っていた。(すげー性格悪いね・・・)
って言うか、私は他人のモノには興味ありません。
勝手に吠えてれば?という感じ。
男好き?そう、私は男が好きだよ。
女の子同士のジメジメ、ウジウジした関係なんかより、
男とだったらサバサバしてるし人の悪口も言わない。
一緒にいて楽だった。
気の強い私をそのまま丸ごと受け入れてくれていた。
そのままでいいんじゃない、と言ってくれていた。
私はその言葉に救われていた。


しかしその一方で私は壊れてしまっていた。
そして周りのものをたくさん傷つけて、自分自身もボロボロだった。
自分が嫌いで仕方がなかった。
でも、どうしたらいいのかもわからなかった。


誰もいない試験期間中の放課後の教室で
彼氏とセックスしていた。
衣類や雑誌が散らばった部室の中でも。声を殺して。


ばかだなぁ、と、あの頃より少し大人になった今では、思うけど。


「真理子さんは、うちの高校ではかなり浮いていたよね」
元同級生達に会うたびに言われる。
苦笑いするしかない。


「真理子さん、随分雰囲気が変わった。何か、柔らかく、なったね。」
あの頃は自分の心を閉ざし切る事が出来ず、
周りに向かって刃を振り回してしまっていたかもしれない。
今ではもう、周りを傷付けずに生きる方法を身に付けている、つもり。


早く、早く家を出たかった。
短大ではなく四大を選んだのは、それだけ自由になる時間が
多く保証されているからという理由だけだった。
とりあえず、まともに受験勉強すらしていなかったくせに受けた大学は、
当然ながら、全部落ちた。
両親は1浪してそれなりの大学に入る事を勧めてきた。
私にはその1年間という時間が気が遠くなるほど長く長く感じられた。
何より、一刻も早く家を出たかった。
だから3月日程の募集で、名前を聞いた事も無い大学を受験して、
さすがに落ちる事は無く、そこしかなかった訳だからおとなしく入学し、

そして現在に至る。




yuri |MAIL

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