日記
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2001年01月31日(水) 世の中には偽善者なんて腐るほどいるけれど

良い人ぶってて、所詮はみんな偽善者なんだ
誰も信じられない    
そういう風に思いながら、日々過ごしている人は
とても多いはず。
人間関係を上手に結べない人が増えていると言うのは、
他人を信用できないから。他人と接するのが怖いから。

でも

新大久保で起きたあの痛ましい事故は、

自らを犠牲にしてでも他人を助ける行為
それが出来る人がいたのだと言う事は、

人間に対する認識を
変化させるきっかけをくれたのではないかと思うのです。

私には出来なかった。絶対に。
私の周りの人間も、全員そう言っている。
所詮人間は自分が一番かわいくて、自分の事しか考えていない。
しかしそれは別に責められる事でも、恥ずかしい事でも無く、
ある意味当然の事なのだ。 汚い?醜い? でも本心だ。
人はそれぞれ、自分のために生きるべきなのだから。
他人を救えなかったからといって、責められることはない。

それでも
見ず知らずの他人を助けようと
線路に飛び込んだ人達がいた。
決して器用には生きられない、そんな彼らの人生は、
決して楽なものではなかったのでしょう。
でも輝いていました。
感謝状や賞やら、弔問に訪れた政治家の言葉など
何の重みも無い。あの人達はこんな事まで政治に利用しようとするのか。

でも残された者の心の痛みは・・・・・
大切な人が、自らの命を犠牲にして、他人の命を救おうとした事
受け入れる事が出来るの?
   生きていて欲しかった
例え、見殺しにしてしまった自分を一生責め続けながらでも
そうして苦しんでいる姿を見続けるのがどんなに辛くとも

あの時飛び降りる事の出来なかった自分の弱さを、
蔑んで、後悔しながら生きる姿を、
一生見つめて生きていかなければならなかったとしても。

それでも、「生きて」存在してくれる事を望むだろう。
英雄になんか、ならなくてもいいと。


もう一つ私には気がかりな事があり、
それは、酔っ払って線路に落ちた人の、残された家族の事。
その人たちに罪は無いと思うのだが、
助けようとした人達が英雄化される反面、
線路に落ちたオジサンの家族は、居場所の無い、
苦しい思いをしているだろうと思う。辛いだろうな。
自分の大切な人が死んでしまったと言う事だけでも悲しいのに。
3人分の命。
周りから、世間から責められているような感覚。
重い。
きっと、悲しみに沈んでいる余裕もないだろう。
子供はいたのかな。
転校したり、引っ越したりするのかな、きっと。
一生苦しみを、背負っていかなければならないのかな。

それはあまりにも辛く。
しかし、線路に落ちた父親を、恨まずにいて欲しいと思ってしまう。



補足 
今改めて新聞を見たら、独り者だった事が発覚。(遅い)
少し、ほっとしてしまった。





ー27日の日記の続き、でした。ー





yuri |MAIL

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