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ドラマ最終回&リンゴ - 2000年09月16日(土) <本日(9/15)のTMR的動き> ・全国ツアー37公演の先陣を切って、東京公演2デイズ一般発売。 当然あっさり敗退。といいますか、一発でつながっても完売だったらしい。 一般発売といっても、中には4、5枚しか用意してない(先行で全部はけてる)場合も あるんだって。どうもこれっぽいなーーーー。 まあ、私は東京も1日行ける予定なので、さほど残念ではないっす。 TMRについては以上(笑) さて。夏ドラマも次々最終回。 今日はなんとなく、普段は見てない「Summer Snow」とか見てみた。剛ちゃんとヒロスエの。 …ありっすか、この展開は。最終回で登場人物を殺すってのは、安易すぎないかい? 人死にがあると絶対泣ける展開になるから、あまりカンタンに使ってほしくないんすけど。 んじゃ、死人が出るラストが嫌いかっていうと、嫌いじゃない(笑)。むしろ好き。大スキ♪ 必殺技だから、安易にやってほしくないだけ。 このドラマだと、ヒロインは事故で死んだ恋人の臓器を移植されて生きていくと・・・うわあ、切ない。 好きな人が永遠に記憶の中で若いままだというのもきついけど、 自分の体内にその人の一部を抱えたまま生きていくなんて・・・ ・・・・むっちゃ好み(自爆)。 好きな人とひとつになれるっつーのは、ある種究極の愛の成就だと思ってしまうわけさ、私は。 文学部出身、破滅志向なロマンチストなのさ・・・笑うしかない。 ところで、マリンスノーって、なんとなく深海に降るイメージがあったのだが、 潜れるくらいの深さでも見れるのか?知らなかった。(←海行かない人) ついでにこのあとの枠の「フレンズ」もちらっと見たけど、 ハマちゃんがやっぱりお亡くなりになっていた。両ドラマとも男が死んで女が生き残る。 ひとりでも強く生きていけ、てことかい。 愛と死はつねにわかちがたく背中合わせなものなのだと思う。 いつかは死ぬとわかっているからこそ、短い人生を他人を求めて必死に生きるのだ。 だから、恋愛ドラマに死を持ち込むと盛り上がるのは当たり前。 もはやフツーのハッピー恋愛物はうけない時代なのかなあ。 本日は、林檎の日でもあった。雨だったし1日休みだったので、こないだ買ったけどパッケージを あけてなかった、プロモビデオ集「性的ヒーリング〜其の弐」と、ライブCD集「絶頂集」を 続けて見て聴いた。 林檎姫の映像は、いつもカルトな匂いがぷんぷんと漂う、意味深な作品だ。 愛と死と絶望と混乱と、いろんなものがごっちゃに詰め込まれている。 「ギプス」なんかもろ葬式の光景じゃないか。ゾクゾクする。 映像ごとにがらりと変わる彼女の姿。私は、いつまでも彼女の顔をちゃんと覚えられない。 服装や演技や、見るたびに全然違ったイメージになるから。 歌うために、演ずるために存在するかのような人だ。 「絶頂集」もよかった。彼女がやった3つのライブでの未発表曲をもとに構成されたCD。 私はどのライブにも参加していたので、聞き覚えのある曲ばかり。 彼女の歌詞の意味は捉え難く、そこが魅力的だ。洋楽を聴いているのと変わらない。 そのくせところどころ、自分の中のダークサイドをずばりとえぐってくる感じがたまらない。 彼女は唯、自分の思ったことを歌ったり、演じたりしてるだけだけど、 私の中にも確かに、彼女の感じるものと似たものが存在し、 そのくせ全然違う部分も感じる。 ときに一体化し、ときに客観的になる。 林檎のことはうまく語れない。だって、理屈じゃないから。 自分の中にある、彼女と響き合う部分をどう表現したらいいものか。 女であることの喜びと絶望、女らしさの否定と雌としての本能の自覚、 相反するものが浮かび上がっては消えて行く、言葉の氾濫。 それをのせて表現する音の素晴らしさ。 たぶん、これからも私は、人生に疲れたら林檎を聴くのだろうな。 そして元気なときはきっと西川貴教の歌を聴くのだ。終わり(笑) ...
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