貞子。(早矢花)のきまぐれ日誌

2005年07月05日(火) 大変な時ってあるもんです。

カズコ・ホソキの番組を見ながらつくづく思いました。(痛感)


ただああやって的確にアドバイスをもらえる人たちはいいと思うんですが、
世の中には不器用で折角アドバイスを貰っても受け損ねる人や
そのアドバイスすら貰えずに一人で悩んでいる人が居るわけで。
そういう人たちはどうすればいいんでしょうねぇ。


受け損ねたり聞こえない人っていうのは、
なんかふとした拍子にそのアドバイスを受け取る事が出来る可能性があるんですけど、
そのアドバイスを投げる人は常にその人に向かって投げ続けていなければいけない、もしくはいつでも投げられる状態に居なければいけない。
意外とそういう人っていうのはいないもんです。
だってしんどいですからね。
四六時中とは言わないまでも、そういうことって凄く体力や精神力を使うから。
「愛」にだって「限界」があるんですよ。
性格には「愛」の「体力」に限界があるんだと思います。
第一根気がいるし。
人間いつまでも動いていられるわけじゃないのと一緒だと思います。
そういう「いつも見てくれている人」「そばに居てくれている人」っていうのは、
どうであれ大切なものなんだと考えるようになりました。


下心がある人たちは心配をしているようでも、
その労力に合うだけの報酬が無い、
もしくは限界が訪れればやがて去って行きます。
それでも一言二言言われれば、現金にも回復する場合があるのですから、
人間というのは本当に面倒なものを背負った生き物だと思います。


ただ意外と自分が気にするほど人と言うのは他人を見ていないと最近知りました。
その反面、自分が見ていないと気にしていないときほど、他人には意外と見られている事を知りました。


うわ。何が言いたいんだろう。


ただがっちり掴んだはずでも、互いが必要なくなれば離れていくのもまた
人間だと思ってます。
必要があって出会ってその時期が終ればまた別れていく。
人間関係を淘汰しているようでまた自分も淘汰された存在であると考えれば、
自分から去り行く人の影をいつまでも引きずる事は無いと思うのです。
図らずも再び会うこともあるだろうし、
何らかの形で直接互いの存在を知らしめる事などなくても
妙な縁でまた相手の事を一歩引いた外から知ることもあるのですから。


意外とその方が、直接会っていた時よりも冷静にその人を見ていられる気もするし、その人の評価も変わるものだと思います。




…さて、結局私は何が言いたかったのか?(原因不明)


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