家族進化論
Sawmen

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2019年07月29日(月) 再掲


(丸山先生のメルマガより引用)

【かつて「宿題チェック」が嫌いでした】
さて、その「宿題チェック」をしながら、ふとこんなことを考えま
した。

教員になりたてのころ、あるいはなってからしばらくの間、「長期
休暇明けの宿題チェック」というのは実に気が重いものでした。な
ぜ気が重かったのかと考えてみると、さまざまな「義務感」や「思
い込み」に縛られていたからではないかと思います。

例えば…

・「長期休暇の宿題は一人残らず提出させなければならない」とい
う義務感。

・「どうしても宿題を終わらせることができない生徒は、放課後残
してさせるべきだ」という義務感。

・「宿題をが終えてこなかった生徒は強く叱らないと、終えてきた
生徒が『なんだ、その程度で済むのか』と思ってしまうのではない
か」という怖れ。

・「『長期休暇の宿題を出させきることもできないのか』と他の先
生から思われるのではないか」という、(実際にはありもしないもの
に対する)恐怖。


自分で作りだしたこれらの「思い込み」が、長期休暇の宿題チェッ
クを気の重いものにしていたように思います。
他の先生や生徒から下される(と自分で思い込んだ)「自分自身の評
価」ばかりを気にして、勝手にプレッシャーを感じていました。

「生徒のためにどう対応すればいいか」を考えるのではなく、自分
のメンツばかり気にしてわけで、だからこそ気が重かったのでしょ
う。
もちろん、上のような見方をしている先生はいらっしゃらないと思
います。


【今は…心境の変化】
今は変わりました。
ある程度経験を積んで、気持ちに余裕が出てきたことも大きいと思
います。例えば「中1から高3までを通して持つ」という経験を経
て、「生徒たちはいずれ必ず成長していく」ということに対する信
頼を持てるようになりました。

私たちが相手にしているのは、まだまだ発展途上の生徒たちです。
「明日は宿題を出すだろう」という期待が裏切られ続けることも、
あって当然です。
また、日頃の授業に説得力があり、折に触れて「叱られないために
宿題をしても意味がない、自分ができるようになるために宿題をす
るんだぞ」と伝えていれば、「やってこなくてもあの先生の対応は
ぬるいから大丈夫」などと言って、宿題に対する取り組みが甘くな
るということもありません。
そんなことがわかってきたのです。

焦りが消え、「長い目で、それぞれの生徒の成長を見守ろう」とい
う意識が、私の中に少しずつ根を下ろしてきたのかもしれません。
その意識は、「余裕を持って対応する」ということにもつながりま
す。

今でも、宿題を提出できなかった生徒に対して、しかるべき対応は
します(「理由はいい。で、どうする?」といった言葉かけなど。
宿題を出せないことに対しては反省の意を示していることがほとん
どですから、それをさらに「どうして出せないんだ!」などと追い
込むことは基本的にしません。宿題を出せない「理由」を聞いても、
多くの場合無意味な言い訳が返ってくるのみです)。

また、形式的とはいえ宿題チェックもしますし、提出を完了できる
ように促し続けることもします。
「この生徒には今は厳しく迫ったほうがいいな」と思うときはもち
ろん叱ります。
が、それとてそれぞれの生徒と交わす「human to human なコミュ
ニケーションの一形態」ですよね。
ちなみに、初回の授業で宿題を出せなかった生徒は各クラス3、4
人ずつでした。

【まとめ】
言いたいことは、「短期的な結果や自分の評価を気にして、不安や
焦りとともに生徒と向き合うのではなく(昔の自分がそうでした)、
ある程度長いスパンで生徒の成長を信じる視点をどこかで意識しな
がら、それぞれの生徒と伸び伸びと向き合いたい」ということです。

久しぶりに生徒と顔を合わせて授業をした日の夕方の職員室で、提
出された宿題にせっせと目を通しながら、「やっぱり生徒がいると
楽しいな。human to human なコミュニケーションを心がけて、
2学期もがんばろう」と考えている自分をふと意識したので、書い
てみました。


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