LOVE diary
DiaryINDEX|past|will
2002年06月19日(水) |
閑話休題 −責任の取り方− |
"痛み"って、なんだろう・・・。
癒される日は来るのだろうか。
徐々に出来た瘡蓋(かさぶた)を、自分の手で剥がすのか 他人の手で剥がされるのか その違いはあっても 痛みをもう一度思い起こす事に違いはないと思う。
故意にではないにせよ、自分の取った行動が 誰かの痛みを掘り起こしてしまったとしたら、一体どうすればいいのだろう。
何気なく発した言葉が、知らず知らず他人を傷つけていたら?
それが自分の所為だと判ったら、あなたはどうするのですか?
責任の取り方は、人それぞれだと思うけど・・・。
頭の真ん中に置いておかなくちゃいけない事は 『何も無かった昔には戻れない』ということ。
口をついて出た言葉を取り戻そうとしても、もう帰っては来ないということ。
書いてしまった文章を削除しようとしても、目に触れてしまった以上 もう遅いと言うこと。
だからこそ、言葉選びは大切にしなくてはいけないと考える。
以前私は、自分の日記にこんな事を書いた。 するとある方から 優しい言葉だが、厳しい忠告を頂いた。 その方にしか言えない、その方だからこそ重みのある言葉で叱責してくれた。
その文章を読んだとき、自分の鬱積した想いを吐き出したくて書いた言葉だけど、 実は他人を傷付け、痛みを掘り起こしてしまったのだなぁ・・・と、深く反省した。
消そうかなと、一瞬思ったが。敢えて残すことに決めた。
それは、自分のため。
言葉の持つ影響力を考えて、自分が今後同じことを繰り返さない為にも 残しておこうと考えた。
あの文章を残すことで、これからも有形・無形で他人を傷付けるかもしれない。 いや、きっとそうだろう。
でも、それが私なりの責任の取り方だから。
自分が他人に対して与えた傷の深さを思い知らないと また同じことを繰り返すように思ったから。
他人に批判されても、非難されても残していこうと思った。
晒し続けると言うことは、そういうことだと考えた。 傷付けた人に対する 私からの謝罪の形は、そういうことだとから。
そういう方法でしか謝る術を知らない自分を晒すのも、 自分の間抜けさ加減を人に知って貰うのも、 謝罪の方法の1つではないのかと。 勝手ながらそう思っている。
目の前から無くなっても、与えた傷は永遠に残るよ。 深くても、浅くても・・・・・ね。
これはね、自分の机の引き出しに隠してある秘密日記じゃあ無いんだよ。
大勢の人に目に触れる物なんだよ。
だからこそ、自分の言葉には責任を持たなくちゃいけないんだよね。
|