+女 MEIKI 息+
DiaryINDEX|過去のことさ|次
独りで立っているほうがずっと楽だと思うときがある。 座り込まず、一つのことが流れて往くのをジッと見据えているほうが、ずっとずっと楽ではないかと思うことがある。
金八先生のソレではないが『人という字は…云々』。 何かとっても難しく感じる。
このところ、腑抜けなのかもしれない。
それは、ずっとずっと昔。 性根のその裏まで、わたしには眩しく思える男が居た。 無条件にわたしのことを受け入れようとしてくれたその男から、わたしは逃げた。文字通り、姿を晦まして逃げたのだった。両手を広げ居心地のいい場所を提供してくれていた男に対して、後ろ足で砂をかけるようにして消えたのだった。 当時は相手に対して、厭な女になれば少しは相手の気持ちもと、いい女ぶっただけの格好つけだったのだと思う。それが人としてどうこう問われれば、最低な行為をしたのだと今でも思う。 月日は流れ共通の友人の伝で、今は何某かの気持ちや言葉を飲み込んだまま、また会話を交わすようにはなっていた。
今日、久しぶりに都会の街を歩いた。 夕食を共にと、友人が誘ってくれた。 彼女には馴染みの無い街ということで、店選びを任せてもらった。 その誘いを受けた路のすぐ向かいに、もうずっとずっと昔に通った店があった。懐かしさも手伝って、何の躊躇いもなくその店の扉を開くと、少しだけ老けた店長と料理長が迎入れてくれた。 飲み物と料理が運ばれほかの客を捌いた後に、店長が席まで挨拶に来てくれた。 この店長も、そのずっとずっと昔から関わってくれた共通の友人である。店長は、気さくに「今夜、彼は来るのか?」と尋ねた。「今夜、同席した女性は他の付き合いの友人だから」と談笑していると、店長には悪気はなかったのだろう、彼の近況報告を教えてくれた。 店長はてっきり知ってのことだと思い、話題に出したのだと思う。 年明け頃に、彼は父親になるのだという。 子どもが好きで温かい家庭を築きたいと願っていた彼に、念願の子どもが授かるのだと思うと、そのとき泣けるほど嬉しいと思えた。 そこで、素直に喜びを表しても、また素っ気無い振りをしても、初めて知らされたことに気付いてしまった店長の気持ちのフォローにはならない態度となってしまったが。
わざわざ電話をしてまで祝いの言葉を伝える必要もなく、彼から切り出した話でないので、わたしは知らないままで。 そして何より、わたしからの祝いの言葉は彼には不要のものである。
そうして独りで立っているほうがずっとずっと楽だと思っていた。 何でも話しが出来るなんて、自己満足なだけで本当には「何でも」は無理なのだと思っていた。いや、今でも少しはそう思うこともある。 一度でも俯くことや誰かに寄りかかることを覚えたらわたしのことだから、きっとその場に座り込むに違いない。
ああ、やっぱりと「このところ腑抜けになりそうな自分」が居たりもする。
相手の都合をお構いなしに、自分の思いばかりを伝えて自己嫌悪に陥ってりゃ世話ない。分かってることが出来ないんじゃガキと一緒だ!と、呟きながらもやっぱり伝えてしまう我侭を、厭きれれられやしないかと想いは行ったり来たり。 こんなわたしでも、厭きれられるよりは褒められたいのである。 何も褒められるようなことをしていないのに、図々しいったらありゃしないで…4点。
|