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2008年12月20日(土) |
仕舞ひ狂言つれづれ 2/2 |
… そうすると、着物の袖が椅子の背もたれ部にひっかかり危うく持っている物を落としそうになったり、ドアだとノブにやはり袖がひっかかり頭をぶつけそうになる。改めて、日本家屋の引き戸は、このための引き戸だと納得がいく。下着もパンツでは大小大変(ゴム部の位置が、帯の位置と重なり、降ろす時難儀する結果、着くずれる)だ。これも褌が最適だと分かる。米国特殊部隊の隊員は日本の褌を付けている。軍靴を履いたまま、ズボンを降ろした状態で下着を交換できる。 一体誰がひろめたのか、日本人の定番になってしまったTシャツ。べとつく暑い夏(クーラーは使わず制作中も扇風機とうちわのみ)にも以前は疑いもせずに着用していたが、昔からある甚平を知ってから、家にいる時はまったく着なくなった。「甚」は暑いという意味があり、それを平らかにするというので、甚平(じんべい)というそうだが、まさに、これを着ると名前の通りで、夏の暑い時になんでTシャツを着る習慣が出来てしまったのか、きっと戦後、東京を中心とし服飾評論家が広めた、和物より洋物(立体裁断)を良しとする風潮と米国の宣伝工作の結果だと思っている。 これを服飾界の東京裁断私感という。和洋混交の実際的な混乱は、戦後の精神的混乱と軌を一にしている。
御所の東隣にある通称萩の宮、梨木神社の萩祭りに行った時もその一端を見た。行事の弓(小笠原流)の儀式、*『三々九手挟式』で、能舞台(茂山家による奉納狂言もある)から門横の的に向かって弓を引くのだが、その際、片肌脱ぐのを、射手がもたもたし、あげく助っ人が入り、片肌脱がせてもらってようやく射ることが出来た。普段着物を着付けていないと衣装を付けて、弓を立ち居で射ることは難しいに違いない。 案の定、的には当たらなかった。小学生の時に、大学生高校生に混じって、寺で和弓を習ったので、今でも射るまでの作法は覚えている。 射手があんまり、ぎくしゃくしているので後で聞いたら、弓の儀式が復活したのはつい最近のことだと分かった。心も体の動きも洋服になれてしまった結果だろう。
また狂言に戻る。 狂言で、太郎冠者と主人、もしくは他の共演者が同時に台詞を喋る時がある。見物は聖徳太子ではないから同時に聞き取れない。それに腹から出す声なので甲高い声が入り乱れ響き渡る。これが狂言で唯一不快な所である。
モーツァルトは、オペラでのこの問題を和音(俗に言うハモった)で解決した。現代劇では、絶対に同時には喋らない。 今年の見納めは、日頃は、現代演劇には興味がないので行く事はないが、福田恆存原作だと言うので、初めて劇団四季の演劇を見に行く。S席が一万円以下だと言うと、今までの劇団四季の席は、そんな額では買えなかったらしく、こちらは不況の波の影響が出ているようであった。
*梨木神社(なしのきじんじゃ)… 御祭神:三條実萬公・実美公 *三々九手挟式…武家社会では正月4日の弓始式の時に限り行われた厳格な弓の儀式。 文武を統べる道として天下泰平を祝う射礼として行われていた。
写真中央奥,赤い服の見物は家人、右に一人とばして顔半分のここの主。
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