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2008年12月13日(土) 田母神論文–張作霖の爆殺に関して覚え書き–



 田母神大将のコミンテルンに関する記述 コミンテルン謀略説を口汚くののしっている,昭和史研究家で、東大法科卒、大蔵省資料課(窓際)にいた秦郁彦(従軍慰安婦に対しての調査は○ 南京事件に関して×、今回も×)に対して、大将の主張を裏付ける本の紹介があった。*瀧澤一郎さんが、「チャンネル桜」の「今日の自衛隊」に出演、 ロシアで発刊、元諜報員らの手で書かれた 「赤い蜘蛛の巣1919-1943」(邦訳無)という本中に張作霖の日本人殺害説を否定している事を紹介していた。この中で、ロシア諜報機関がハルピンに秘密地下機関をつくり、十分準備の後、二度目に張作霖爆殺成功、は定説となっている。

秦郁彦らがしがみついている、小川平吉文章というのがあり、小川は宮沢喜一の祖父。当時、満州浪人の工藤何某(てつしろうとも、ちゅう?とも。)という人物がいて、愛新覚羅溥儀の側近になり侍従武官長までになった。その工藤が小川の所にきて言った事をまとめたのが小川平吉文章といわれる。その工藤は陸軍が大嫌い、軍学校を出ていないのに、なりすまし、変な這い上がり方をしたため、陸軍エリートに劣等感を持っており、憎くてしかたがなかったようだ。云々。

 張作霖を殺したという本人、河本大作大佐が括弧付きの「手記」?で、「自分が犯人だ」という自白の部分は、この人が中国の収容所に居た時の、同じく収監されていた、親戚でもあった平野れいじ(漢字不明)という拷問洗脳後の人物が聞き書きしたものを、平野の死後文藝春秋に持ち込まれて世間に知れた。今流布されている物(日本軍犯人説)は殆ど全部が伝聞資料だと言う事と、東京裁判の記録を参考にしているということ。

 張作霖爆殺は一度目は失敗して、二度目に成功、上記の本はその事件を詳細に記しているという。一度目は、ニナーロフという男で爆弾を運び込むも失敗し捕まっている。ここまで具体的にロシアでは発表され本になっているようだ。
 だいぶ前から、張作霖の乗った列車の爆発状況は、列車の天蓋が吹っ飛んでいたとの記録が出ていたようで、当時の状況から、日本軍が列車内に仕掛けることはまず出来ないと思われる。当然通過時間を予測して、列車軌道に仕掛けるというのが正しいと思う。ところが、列車の下部は吹き飛んでい無いと言うことは何を意味するのか。

   昭和史家の不勉強 昭和だけ切取り物を言い

       はなはだ、秦迷惑。

*瀧澤一郎 国際問題研究家・もと防衛大学校教授


→2004年の今日のたん譚










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