目次過去未来


2008年07月05日(土) 落書き狂想曲



 イタリアの遺物に日本人他落書きしていると、今更ながら、ニュースとも言えないニュースになっている。朝日新聞なんかどう書いているのか。昔、記者が珊瑚に「K・Y(狡猾な世論操作?消えろ読売?)」と落書きして、一般人のモラルを嘆くと言う茶番を書いた過去がある。
 それはさておき、住んでいるところから図書館まで、東の端から冷泉通りを岡崎道までまっすぐ歩く。途中、中学校があり、運動場の南の端の下を通る。下と書いたのは、京都市は北から南に、普段は意識しないが鴨川の流れを見ると分るように、かなりな傾斜地になっている。
この中学校の運動場の南端の地面は道から二メートル上になり、コンクリートで基礎が固められている。さらにその上に倍ほどの高さのブロック塀、又その上に3メートルくらいのネットが張り巡らされていて、下を通ると刑務所の運動場を連想(入ったことはない)してしまう。これが、百メートルくらい東西にくねくねと続く。
 以前から、ここのコンクリートの壁部分に、かなりな落書きがあった。もう心は鈍感になっていて部屋の柱時計のカチコチ音と同じで、目に入っても反応しなくなっていた。ところが先日通りかかると、目の端に映る塀の色に違和感があった。
改めて塀をまじまじと見ると、なんと全部の落書きが、雑な消し方ではあったがかき消えていた!何か粗いサンドペーパー状のものでごしごしと消した後があり、殆ど完璧に消えていた。中学校で話題に取り上げて、全校あげて消さなければこれは出来ない。反応の速さにちょっとあっけにとられた。
よかれと思いした事なんだろうが、消す際に生じた跡が意図せぬ絵柄となって、あらたな落書き出現と化していることに誰も気がついていないと思える事に笑えた。消し跡抽象絵画大壁画。これはいいんか?

 イタリアに消しに行きますと言って断られた理由が、日本のボランティアかなんだかは多分分かっていない。わかりやすく言えば、ダヴィンチの絵画に落書きしたとして、消せばそれで済むと言う訳にはいかない。そこから始まるのだ。元に戻すのは至難の業である。

 もともと意地悪な性格なので、この後、再落書き第一号はどのくらい後に現れるか通行途中の新たな楽しみになった。日本人はニュースには敏感だが、まー、すぐ忘れる。人の噂も七十五日というから再落書きは二ヶ月後と見ている。










myrte21 |MAILHomePage