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本日、一日の間に、この正月に北アルプス槍平にて遭難した市川啓二氏(昭和三十一年生)西井健(昭和五十一年生)氏のお別れ会(徳島)に出席、途中退席して、大阪堺で開かれる、西村眞悟議員を応援する春の集いの会に向かった。 一昔前は、片道六時間はかかったが、今は、橋が出来てわずか三時間で四国大阪移動が可能になった。雨模様で少々気が滅入ったがどちらも外せない。 岳人クラブの主催で徳島市公民館七階で行われた両君のお別れ会で、遭難時の状況分析が詳細に行われた。槍平という場所を知っている人ほど、その場所に雪崩など起こるはずのないと思ってしまう位置なのであるにもかかわらず、起こってしまったその事に関しての分析で、その雪崩がどこから来たか釈然としないという事で未だ調査途中ということであった。 壇上に大きく掲げられた両君の遺影と遺品、ピッケル、ダウンのジヤケット他、五十一年生まれの西井氏については何も知らないので、ここでは書かない。 市川君とは先輩後輩の関係ではあったが、とても親しくしていた。 青春期に親しくした友は何十年音沙汰無しでも心の底でどこか気にかけているところがある。 一見、全然趣を異にする会のように見えるが、主人公に共通することがある。青春時代を「山」で過ごした経験を持っていることである。西村さんも大学時代一時(足の怪我で退部)山岳部にいた。冬の北アルプスで吹雪きの中、ビヴァークを経験をしている。山の話をすると本当に懐かしくその時を思い出すようだ。 お別れの会は高速バスの時間の都合で「献花」までいられず、会場を後にした。これとは別に、ここ、たん譚に、市川啓二君追悼を書こうとおもっている。 信じられないくらい、分刻みの乗り換えがうまくいき、大阪堺リーガロイヤルホテルに二十分くらい遅れでたどり着けた。 応援に駆けつけた、衆議院議員、平沼赳夫さんの言葉は聞けなかったが、間に合った。大盛況で、会場の外まで人があふれていた。←写真は前の方で少人数に見えるが、広い大ホールに数百人が集っていた。 政治家として人望が厚いというのは、個人として支持しているたん譚のようなのもいるが、その後援会の多さでも分かる。いろいろな人達がいろいろな集まりを作り、支持して独自の会を作っている。今回それを知って改めて、こんな政治家は他に例がないのではないかと思った。著書でも、日本を論じるのに、日本とは何か、日本人とは、から興す。政治家の本で、この根っこから論じた本があったら教えて欲しい。政治家はその時その時の点を論じ、解決しようとする人は数多みかける。が、カントリーとしての日本、ネイションとしての日本を意識しての発言は見かけない。 映画やVシネマなどで人気を取っている、「難波金融伝 ミナミの帝王」に出ている、地場のやくざの親分役の元チャンバラトリオの人(名前忘れた)、登場人物そのまんまの衣装と雰囲気で来ていたので、思わず親分が来ていると錯覚してしまった。 TVで、お笑いタレントに受験勉強の家庭教師を務めて、話題になり、浪曲師に華麗なる転職をしてまた話題になった「けいこ先生」も居て、司会をしていた。 拉致被害者のご家族、有本さんご夫婦、東条英機御令孫、東条由布子さん、実に多方面にわたって来られていた。 この二つの会には、それぞれ象徴的な歌が思い浮かぶ。 西村さんの集いには、 「海ゆかば」 大伴家持 海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね) 山行かば 草生(くさむ)す屍 大君(おおきみ)の 辺(へ)にこそ死なめ かへりみはせじ (長閑(のど)には死なじ) 市川君始めとする岳人達は必ず多少の感傷を持って歌った 「いつかある日」 ロジェ.ジェプラ いつかある日 山で死んだら 古い山の友よ 伝えてくれ 母親には 安らかだったと 男らしく死んだと 父親には 伝えてくれ 愛しい妻に 俺がかえらなくても 生きてゆけ 息子たちに 俺の踏み跡が 故郷の岩山に 残っていると 友よ山に 小さなケルンを 積んで墓にしてくれ ピッケルたてて 友に贈る 俺のハンマー ピトンの歌声を きかせてくれ この詩が、実感として胸を打つ事は今までなかった。今は山行く人の共通の遺書だと思うようになった。 学生時代、念仏のように唱へ覚えた、エベレスト K2 カンチェンジュンガローツェ マカルー ダウラギリ …。 その中のダウラギリに隊長として遠征し、その深い雪に、地場のシェルパに、行ったら100%死ぬと言われて、忠告にはやる心を抑え、撤退し生還、日本に帰国し、同年の正月登山に、冬山初心者を連れて、あと一時間で新年を迎える十一時頃、就寝中雪崩にテントを潰され不帰の人となった。 徳島岳人クラブ提供→ 慰めは市川君が誘った人は生還したことである。難しいダウラで逝かず生還したのに、テントの張り位置からもその用心深さが伺われる、北アルプス槍平においてまさにそこに雪崩が来た。 冬山で絶対安全はないが、長年の山屋の感は働く。その感を持ってしてもその場所は安全に思えた。 世の常として、不条理は働く。そして仲間と逝ってしまった。さらに遭難後すぐ後、世界最高峰のチョモランマ(エベレスト)を初登頂したサー・エドモンド・ヒラリー(Sir Edmund Hillary)も後を追うように他界した。きっと天上界で会っている。残念なことに西村さんのご子息も、市川啓二君遭難後の今年一月病気のため他界した。 悲しみと希望この二つの相反する感情はきってもきれない間柄である。だから、この二つの会の主人公は「山」という関係を置いても、無関係ではない。