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2007年11月01日(木) |
わが通る道はありけり(1/2) |
上高地に行ってきた。一晩にして穂高連峰は雪を頂き、冬の装備なしでは危ない状態になった。利用した山小屋も後十日ほどで小屋を閉じる。一人ではなかったし、装備も冬のものではなかったので、涸沢には行かなかった。 今回は槍沢と徳本峠をあたりを逍遙することとした。
昔、上高地にはいるのは徳本峠(とくごうとうげ)から入った。ほとんどの人がもうこの峠を越えて上高地穂高には入らない。 寂れてしまったこの峠を、途中道草を食いながら、登っていった。上高地から徳沢へと続く登山路から一歩徳本峠への分岐にはいると、人足はぱったりと無くなる。 高度を稼ぎながら峠に行くまでの谷沿いの道から眺めるうっすら雪をかぶった明神岳が美しい。沢筋は本来なら、とっくに紅葉していておかしくないのだが全然と言っていいほど紅葉はない。唐松の林がどうにか黄色に色づき秋の気配が感じられる位で、沢をなぜて行く風は冷たくはない。
温暖化が本当だとしたら、日本は亜熱帯性気候になる。歴史始まって以来の大事となる。四季に拠って立ってきた文化形態が変わってしまうだろう。新たな疾病も出現するにちがいない(後の勉強により、あってもこれから100年間の間に0.6度の温度上昇だと知りインチキだとわかる。2009/某月)。
最近は登山者も昔に比べたら減っている。中高年のにわか登山者が増えてはいるが、事故も多く起こっているようだ。この登山者たちにも、スポーツアルピニズムの悪しき弊害?がでているように感じる。 A点からB点に行くのに、 脇目もふらず行く。同じ所で溜まり、同じような行動形式をとる。結果へとへとに疲れて帰ってくる。それでもいいと言われれば何にも言えないが。
山小屋では、イクラが食卓に出、ステーキがでる。茶碗蒸しに、カナダ産の松茸が入っているのは御愛嬌だが、沢筋にごまんと生えている、野生の三つ葉には目がいかないらしい。これを入れればいいのに。そのことを言うと、採ってはいけないことになっているという。たかだか、一晩二十人くらいの食卓の茶碗蒸しにあしらう野生の三つ葉が絶滅につながるはずもないし、適度に採ってやることで、刺激となり前にも増して増える。過剰保護は無関心につながり、今山小屋の従業員に「この茸食べられるの」ってきいてごらん。なーんにも知らない事、都会のホテルマンと同じだから。
かって雪の残る南アルプス北岳の小屋で、夜、小屋を抜け出して、岩陰に腰掛け青い月をかすめて飛ぶように流れていく雲を震えながら見ていた事がある。山に出向くのは寂しさや静けさやまた無情と言う言葉をしみじみ味わうことにある。じっと青い月を見ているとこの世って何だろうという気持ちになる。冬山で負傷した同行の友を思い自分は無傷なのに、友と死を共にすることにし、遺書を残して逝ってしまった*松濤明(まつなみあきら)を、その心情をいつも思う。
翌日開けて朝飯の時、登山客が話題にしていたのは、夕べ夜半小屋を出て行った奴がいるということだった。団体行動なら同じように飯を食い、同じように寝なくてはならないが、個人で来ているのだ。夜半に星を見に行こうが何をしようがいいと思うのだが山小屋を利用するとこういう事になる。 だから、かってはテント食料を担いで行ってたが、年とともにそうも行かなくなった。
上高地、宿泊客は各部屋で眠っている夜半、ベランダに出ると、梓川に黒々と影を落とす山々の上空、オリオンの三つ星は、まるでマグネシウムを焚いたように輝いていた。こんなに輝くのが見える日は少ない、そこで家人に声をかけたが、すでに夢の中であった。
上高地から徒歩で3時間、山中で泊まった「*氷壁の宿」とうたっている徳沢の小屋も、その意味するところを知っている人がいるどれだけいるだろう。 帰りの上高地のバスターミナルで看板を見てたら、おばさん7人くらいに取り囲まれた。看板を見ている。全員が朝鮮語を喋っていた。噂は本当だったニダ。
落葉松 一 からまつの林を過ぎて、 からまつをしみじみと見き。 からまつはさびしかりけり。 たびゆくはさびしかりけり。
二 からまつの林を出でて、 からまつの林に入りぬ。 からまつの林に入りて、 また細く道はつづけり。
三 からまつの林の奥も、 わが通る道はありけり。 霧雨のかかる道なり。 山風のかよふ道なり。
四 からまつの林の道は、 われのみか、ひともかよひぬ。 ほそぼそと通ふ道なり。 さびさびといそぐ道なり。
五 からまつの林を過ぎて、 ゆへしらず歩みひそめつ。 からまつはさびしかりけり、 からまつとささやきにけり。
六 からまつの林を出でて、 浅間嶺にけぶり立つ見つ。 浅間嶺にけぶり立つ見つ。 からまつのまたそのうへに。
七 からまつの林の雨は さびしいけどいよいよしづけし かんこ鳥鳴けるのみなる。 からまつの濡るるのみなる。
八 世の中よ、あはれなりけり。 常なれどうれしかりけり。 山川に山がはの音、 からまつにからまつのかぜ。
北原白秋
*徳澤園。別名「氷壁の宿」…山岳事故を元に書かれた井上靖の小説「氷壁」の舞台になったことからつけられた。昭和30年(1955)切れないはずのナイロンザイルがいともあっさり切れ、登山者の命が奪われ、それをめぐって裁判で争われる。調査結果と違う証言がされたり、大きな話題となった。
*松濤明…厳冬期の槍ヶ岳北鎌尾根において遭難。若くして無くなったのでほとんどなにもないのだが、「風雪のビバーク」「ピークハンティングに帰れ」などのエッセイ、著書がある。
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