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2006年04月04日(火) |
親より子が先立つ不孝−下− |
−続き− 親猫と子猫(両方とも雌)は育て方を変えた。親猫は、生後一ヶ月位でもらわれて来たので、生まれた時からではないが、一日一食、人間様と同じものを与えた。生のきゃべつはシャクシャクと美味しそうに食べた。数年後、子猫が生まれたのを境に、親も共々、キャットフードを日に二度、主に与えた。そのせいか、子猫は人の食べ物には興味をあまり示さなかった。
親猫に比べて、子猫は行動範囲も極端に狭く、半径5m位だと家族とよく笑った。極端な怖じ気で弱虫な猫だった。猫でも、親とずっと二匹で暮らしていると自立出来ないようで、死ぬ直前まで、出ない親猫の乳を時々吸った。叱ってもやめる事はなかった。子猫はまた、とても変わった面を持っていた。人、猫に限らず献身的に介護するのである。一度など,家人が熱を出してうんうん言って寝込んでいた時、枕元に寄り添いじっと見て、なんと熱のあるおでこをぺろっと舐めた。家人は感激した。親猫にも同じように、子猫にするように献身的に毛繕いなどを手伝った。 子猫は、たん譚が、ドイツに出かけた次の日に生まれたせいか、刷り込みが出来ずに、家人ほどには馴れてくれなかった。多産で一度に5匹生んだ事もあった。この時、引き取り手を探したが、二匹しか引き取り手がいず、残りの三匹は、責任を持って、自分で一番楽なようにして処分した。捨て猫にするのも、人様に頼んで処分するのも、嫌だったから自分でやった。無責任な輩は、動物病院の玄関に捨てて行く人も居ると、獣医さんから聞いた事がある。処分するのは獣医さんである。その獣医さんに自分で処分した事を言った。 以後懲りて、避妊手術をしてもらった。山奥で住んでたなら、10匹でも20匹でも飼えただろうが仕方なかった。
猫と言えば 漱石の書いた「我が輩は猫である」が有名だが、漱石の弟子(ひゃっけん)の書いた「ノラや」に愛着を持った。(映画『まぁだだよ』黒澤明(1993)にも、少しその顛末が描かれている。) 昔、それを読んで大笑いするも、その中に何とも言えない悲哀があり、先生、ノラがいなくなって、張り紙を出したりあちこち奔走するのだが、何かに付けておいおい泣く。ノラいなくなって何日目、などと日記につけて、また泣く、果てしなく泣く。ずーっと泣く。とことん泣く。その様子が目に浮かぶようで、腹を抱えて笑った。 後に、カーテル・クルツという猫が登場するが、こちらのほうが一緒に暮らした年月が長く、ノラとは実質一年半くらいしか一緒にいなかったにもかかわらず、ノラへの思い入れは強かった。 これを読んでいたおかげで、人とペットの関係を客観的にみることが出来た。世に言うペットロス症候群にはならなくて済んだ。
他日、親猫の方を、健康診断のために昔手術をしてもらった獣医さんの所に連れてった。このお医者さんは、すぐに血を採取したり、読み上げたりはしない。長生きになったとは言え、ネコの寿命はそれ相応である事、高齢だから、いつその時が来てもおかしくないので、覚悟はしておく事などをいった。親猫には異常はなかった。 運び込まれて来たカラスがもう十五年生きている事や、事故にあって倒れていた犬を引き取って、いまも元気で、ここにいる、いろいろな動物が増えて、いまでは家の一部屋を解放して飼っているという獣医さんだった。途中、奥さんも出て来て話に加わった。動物が本当に好きで獣医をやっている事が伝わってくる。 話していて、気の休まる先生がやっばり名医なんだろう。
家族のもとで生まれ、「ノラ」のように行方不明になるのでもなく、最後の最後まで親猫と一緒に居て、誰にも迷惑かけず静かに寿命を終え、心を和ませてくれた子猫に有り難うと言ってやりたい。はや49日過ぎてしまった。
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