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2006年02月20日(月) |
親より子が先立つ不孝−上− |
子猫が死んだ。家には親猫とその子猫がいた。子猫と言っても、16年生きた。ずっと17年と思っていたが、数えて見ると16年と数ヶ月だった。親猫は19年生きていて目と耳は見えない聞こえない状態だが元気だ。 その子猫の方が紀元節の日未明から朝の間、暖かさの残る風呂場の浴槽の蓋の上でつめたくなっていた。一ヶ月くらい前から、ものを全然食べなくなって、あんまりだから動物病院に連れて行った。
病院では、問診書みたいなものをとられた。飼ってられる猫は何人ですかと聞かれる。何のつもりで何人などというのだろう。何匹でいいじゃないか。採血され、結果が出るまで小一時間、待っている間も、犬、猫、モルモットなど、続々と患者?がやってくる。待合室で、足下の寒さが気になりかけた頃、再び診察室に呼ばれた。点滴をしましょうという。その間、吐く息のとても煙草臭い先生が、採血結果の一枚の白い紙を前に、頭から滔々と読み上げ始める。人間ドックのあの、診断結果のものとほとんど同じ内容、β値、γ値 赤血球白血球、ヘマトツリット、ナトリウム・カリウム・クローム…。2、3十分は続いたろうか。
それでどうかと言えば、一等最初に触診をした際の「腎臓が腫れてます」以外の具体的な事は、だらだらとした数値報告からは何も理解出来るものは無かった。 診察後、こちらの都合もいっさい聞かず、「明日も来い」という。人間様の病院だって、「明日はこられますか?」と聞くのが普通である。
何か違うものを感じて、そうそうに引き上げた。以後、医者には行かず、つききりで家で様子を見た。何の病気もしなかった猫が、突然何も口にしなくなって、水ばかり飲んでじっとしている。動物は自己治癒の本能で治しているのだと、ずっとそばにいるとよくわかった。一週間位して持ち直し、赤みの刺身に口を付けたが、戻してしまう。
いつも居る風呂場でじっとしていたが、最後の一週間は風呂場から出て来て,家族の横で寝ていた。玄米の粥を作り、これに溶かした栄養剤を混ぜ、ミキサーで砕き流動食にして一日二度スボイトで食べさせた。体重は半分に減ってしまっていた。背骨と腰の骨が触るとはっきりとわかった。 普通の餌には、口を近づけるが一切食べずに、前足で砂をかぶせる行為をした。 この猫は、何度呼んでも、どこにいても呼ぶのが聞こえると必ず「にゃぁ」と返事した。一度など、一体何回返事し続けるか試してみたが、こちらが根負けしてやめるくらい律儀に返事した。 「おい!」「にゃぁ」「元気か」「にゃぁ」「どや、調子?」「にゃぁ」「おまえはほんまに可愛いなぁ」「にゃぁ」「そろそろ寝なよ」「にゃぁ」きりなく返事した。 紀元節の日の、朝五時頃まで一緒にいて、眠るために、風呂場に帰って行った。それが最後となった。家族が見つけたのが午前10時だから、わずか5時間の間に死んだ事になる。最後の最後まで親猫・家族と一緒にいられたのだから猫は幸せだったと思う。 −続く−
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