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2004年01月13日(火) 美しきもの・ 汚きもの



 昨日の事、近くの勧業館で成人式があったのだろう。だろうと書いたのは、勧業館の前は込み合うので、家から普段は勧業館前を通るが、タクシーはそこを避けて、国立美術館沿いの疎水べりを通って仁王門通りを走り抜け、鴨川ベリに出て、町中(三条・四条方面)に向かったためだ。

その途中、異様な物(者)を見た。国立近代美術館の南西角、勧業館の真裏のT字路の信号のある所、少し幅が広くなっている、そこを通りかかった時である。
車体を少し低く下げた車に乗ろうとしている、金髪に近い茶髪に、黒い無精ひげ!、耳に金色の丸いピアス、着ている羽織・袴がなんと真っ白のものをきた輩をみた。

 此奴が時間から見て、ここに駐車違反して式に出席、終えて帰ろうとしていることはすぐにわかった。
そこにくっついている、振り袖をきた女二人。
その立ち居振る舞いが、質の良い振り袖とまったく調和せず、とても不潔で汚らしく見えた。

 男は、成人式をただのイヴェント(祭りではなくて、企画ものと言う意味)としか多分見ておらず、女はファッションショーのつもりなのだろう。
他にも道行く式帰りの脳天気を見たが、歩く姿がもうなんて言うのか、汚い。着物を着ても西洋歩きが染みついている、教えてもらっていないから、体をねじって踵から足を着地して歩いている。これで、着物前が開(はだ)けないはずはない。それに初々しさという物がまったくない。

 戸板康二(作家・歌舞伎評論家)が、花森安治(暮らしの手帖 編集兼発行人)に、「なぜ成人式というと、普段着慣れない日本の着物、それも極上の振り袖を着たがるのか」と聞いたところ、笑って「硫酸魔(昭和45.6年頃、振り袖を狙っては劇薬の硫酸をかける犯罪が多発した)の気持ちがわからんでもないね」と言ったという。
たん譚も気持ちの上では、男の頭と着物にぶっかけてやりたい気持ちがした。

 若者に迎合する大人が、人間は見た目ではないと言う。そんなことはない。今・現在の心の持ちよう、在りようが衣服に現れる。服(着物)は心の鏡なんである。歩き方も勿論である。
学生の頃、同じ黒い制服を着ていても、随分人によって違って見えたものだ。

 今年のえべっちゃんは仕舞い福をもらいにお参りした。二礼二拍手一礼し、ちゃんとお賽銭も奮発し、御神籤をひいた。小吉と半吉だった。「半吉ってあんた!」大・中・小にまだ全と半があるんか!? 
くさって、笹を買い、大黒さんの張りぼてと鯛をつけてもらおうとしたら、「売り切れです。」
売り切れってあんた!もう、残り福どころか残り不服だらけ。

仕方がないので、熊手と、笊籬(いかき)に大黒さんの顔の付いたのを付けてもらって、順路を行くとなんと、祇園の、着物姿の舞妓ちゃんが二人鎮座ましまして、まことにしなやかな振る舞いにて、残り福餅を手渡してくれた。それでだいぶ機嫌がよくなって帰ってきた。

 景気が良いのか悪いのか?恵比寿神社の人出は去年より少なく感じた。それと相反して、駅ホテルの日本料理店「吉兆」は、奥の部屋も、カウンターも玄関すぐの部屋も満員であった。えべっさんに頼まんでもええ人が増えたのか??










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