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2003年12月10日(水) ラスト・サムライ



 最近、テレビを見なくなった分、映画館に出かける機会が増えた。ほぼ一週間に一回。あたりもあればはずれもある。ここの所、ハリウッド製のアクション映画犯罪映画の悪役は見事なくらいフランス人である。
米国の政治とハリウッドが切っても切れない関係であることがよくわかる。はっきりプロパガンダの一環をになっている。この前見た映画も、悪役のテロリストはフランス人で憎たらしく描かれていた。

 昨日見た、「ラスト・サムライ」を見に行くきっかけになったのは、米国ではワシントンポストを始め、この映画を酷評していたからである。どういう風にダメかと言うことが詳しく書かれていないから、何ともいえないが、歴史認識がおかしいとか、考察が変だとかいうのが多いらしい。

 ここで、へそ曲がりのたん譚はピンときた。米国で酷評なら、日本人にとってきっとまともであるに違いない(パールハーバーは除く)と思ったからだ。

そしてそれはあたった。久しぶりに泣けて泣けて、映画でこんなになんで泣けるのだろうと思うくらい泣けた。
特攻隊の実録映画や遺書を読んだときの涙と同じ質のものだった。

 始まり冒頭の部分に象徴のように富士山の山容がでんと出る。がこの後が少しいけない。山にちょっと詳しい人ならこれに続く山容が日本の山とは違う位のことはすぐわかる。このことで、また、日本人が見たら、笑えるような例えば、着物を左前に着たり、刀、脇差しを反対にさして平気な安手の映画(カンフー映画に出てくる日本人など)かと一瞬、ダメかなと思ったが、そうではなかった。
 今年は、「英雄(ヒーロー)」を見たあと、そのスケールの大きさと、秦の始皇帝へのちょっと目新しい解釈、映像の美しさ、人物洞察の深さに、北野武の私小説的なフランス人好み(本当にそう思っているのかはわからない)の、焼き直し座頭市など、見る気にもなれなく、なんで日本には太古から素晴らしい素材が一杯転がっているのに、映画化できないのだろうと思っていた。もう、諦めていた。

 ところが、残念な?ことにアメリカ人の手によって、まったく正当な日本人像が映画になったのが、このラストサムライだった。見ている間に、これが日本人の協力も勿論あるのだろうけれど、アメリカ人が作ったということが、何だかとても悔しくて、涙の一部はそのこともあった。

 1877年の頃、明治政府はすでに立っている、尊王攘夷派の残党、かたくなに己が生き方を貫こうとする武士集団と、米国でインディアン殲滅を戦い、あるきっかけで、お雇い外人として日本に近代兵法を教えに来た主人公が、日本での戦で、旧守派に捕虜にされ、その時日本のサムライの生き方にうたれ、それはかって自分達が殲滅した、米国の先住民インディアンの勇者達と重なる。
そうして武道や生活を通して、武士の生き方に共鳴していく。ついには、尊王攘夷派に付き政府と一戦をまみえ、戦う。機関銃の前身であるガトリング銃や、大砲にかなうわけなく武士達は全滅するが、その死は「尊厳死」であった。

 この戦いの場面、以前どこかで見た戦いの場面と似ていると思ったら、メルギブソンが、スコットランドの英雄として、イギリス軍と戦い、最後は名誉ある戦死をするという場面とそっくりだった。
その映画は「ブレイブハート」だったと思うが、これを見たときも、敵味方関係なく、正義は必ず勝つものでもないという事実を突きつけられて、その悔しさで一杯、泣いた記憶がある。

 多分「尊厳死」を意識したつくりは、この映画監督のハーバード大学時代の先生が、日本の大使にもなったライシャワーだったことも関係あるのではないか。
ライシャワー元大使は、病床で自ら、命をつなぐ延命装置をはずして静かに息を引き取っている。
安らかな死だったと日本人の奥様は書いておられた。

 
 明治維新以後、確かに見た目の帯刀、ちょんまげ、着物は消えた。がこの後、世界の趨勢に翻弄され大きな戦を戦った日本人の中に、いくらでもサムライはいた。

例えば、硫黄島という島(サイパンがある、マリアナ諸島と東京の中間の小笠原諸島に属する)がある。ここは東京本土を空襲しようとする米軍にとってぜひ押さえておかなければならない島であった。半日くらいで歩いて一周できる程の島である。

 当初米国軍は4.5日で日本軍を殲滅、占領する手立てであった。が、結局、40日近く、8万におよぶ米軍相手に一歩もひかず、二万の日本兵は三万近くの米兵を道連れにした。
この時の指揮官は 栗林忠道陸軍中将だった。
しかし多勢に無勢、長期的にはかなうわけがない。
ついに兵が1000人を切る頃、中将は参謀総長宛に訣別の辞と辞世を電報で送った。

 戦局最後の関頭に直面せり、敵来攻以来麾下(きか)
将兵の敢闘は真に鬼人を哭(な)かしむるものあり

国の為重き務(つとめ)を果たし得で矢弾尽き果て散るぞ悲しき
  
これを残して、中将は米後方の部隊を奇襲し、多大な損害を与えた、その途中で中将は負傷し歩けなくなり、「屍を敵に渡すな」と部下に介錯を命じ、部下は木の下に遺骸を埋めて後、自決したと言われている。

これはなんであろうか? 侍の精神そのものではないだろうか?侍は生きていたし、今も日本人の心奥深く生きている(眠っている)と信じたい。日本の女にも同じようにある(と思いたい)。

天皇皇后両陛下が硫黄島に行幸された時に詠まれた歌

 精根を込め戦ひし人未だ地下に眠りて島は悲しき

慰霊地は今安らかに水をたたふ如何ばかり君ら水を欲(ほ)りけむ



 ハリウッドが米国が、映画に託してプロパガンダを行っているとして、これで、日本人に何を訴えようとしているのか?「日本人よ!昔のように、我々と戦った時に持っていたような矜持を持て」といっているのかもしれない。


付録
栗林忠道陸軍中将 達の取った画期的な戦法

まず、殺された米兵は間違いなく正確に腹部を撃たれ絶命している。驚くような正確さで(米軍の記録)

負傷し、「コーズマン(衛生兵)」と呼ぶと、コーズマンと答えて、近づくのは、米戦闘服を着た日本兵であった。転がる酒瓶やヘルメットを持ち上げると爆薬が仕掛けられていた
米軍は「今までの戦場でかって経験しなかった巧みさ」という言葉を残している。
地中深く潜り、撃たせるだけ撃たせて置いて、一挙に攻撃に転じる、ベトナムで米国が負けたのも、この戦法で、一番最後の侍、小野田少尉(終戦を知らないままフィリピンの山奥(ルバング島)で27年8ヶ月の間陣地を守り続けた英雄)も、ベトナムの戦法はわれわれのものだと言っている。


参考文献:国際派日本人養成講座 -栗林忠道陸軍中将-


     

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*12/08 開戦の日中 英法曹界重鎮FJPビール氏
の所、文字化けていました。訂正しておきました。










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