目次|過去|未来
中山正暉(まさあき)と言う人がいる。拉致家族に自分の言うことを聞くか、現代コリア研究所の*佐藤勝巳さんをとるか、迫ったあげく、自分をとれば、あなたの娘さんとあわせてあげるというような事を言って、言下に家族から自分だけそういう事をしたくないと断られて、ついに拉致疑連から見放された。その後、新拉致疑連が作られたが、中山正暉の名はなかった。 石原慎太郎東京都知事から、その行状言動の怪しさを批判されて、反論を新聞に書いていたが、自己正当化に終始していた。 その中山正暉が、秘書の息子と共に、どうやら先年秋に、産経新聞に怒鳴り込んできたらしいのだ。その内容はともかく、論説室に通された氏は、ドーンと殴りつけるように(産経抄の石井英夫さん)机を叩き付けて終始大声で恫喝を続けたようなのだ。途中大声をたしなめられても、「俺はキヨちゃん(産経新聞清原武彦社長)をよく知っている」と言って脅したそうである。
この人、二年前にも問題をおこしている。徳島の吉野川可動堰の問題で、地元市民団体との対話を約束していた件を反古(ほご)にした。活動する市民団体の一人が、前科者だというのがその理由だった。「逮捕歴もあり、日本の国をつぶそうと思った人と何で話をしなければならないのか」と言ったのだ。この市民団体が、沖縄の基地反対運動をしている連中と同じ、サヨクもどきかどうかはどうでもいい。
前科者でも、務めを終えて社会復帰していればそれで何にも問題はない。 この人、平成9年には、裁判官弾劾裁判所(裁判官が職務上の義務に著しく反した場合、両院議員で構成される訴追委員会の追訴を受けて、免職の裁判をする)裁判長 を勤めたりしているのだ。
可動堰の対話拒否の言い分がふるっているではないか。 「…日本の国をつぶそうと思った人と何で話をしなければならないのか…」
可動堰で日本の国は潰れない。それよりも国民の拉致という大変な出来事に拉致疑連の長を務めながら、訪朝してから変節し、「あの人の拉致は北朝鮮とは関係ない」とまで家族に断言し、日本で行われた金正日の祝賀パーティに出席して、飲み食いし、意に添わないと新聞社に恐喝に近い脅しをかけ、そこの社長を知っている(パーティで会えば挨拶する程度、飯を食う仲ではないと産経の社長は言ったようだ)と虎の威をかりる。 こういう人物が過去、裁判官を裁く裁判長になったりしているのである。 日本の国の事より、相手国の事に気を配る、こういう人こそ、日本国を潰そうとする張本人だと、他人は思うが本人は思わない。
そうして先年11月三日「文化の日」に最高の賞、勲一等旭日大綬賞(四人しかもらえない)を授賞している。
この人には浅からぬ因縁がある。小学生の時に、確か毎朝だったか、その時々に感じた事を、教室で発表する事が行われていて、その時に、「日本初の女性大臣(1960年)中山マサ」の事を調べて発表したような記憶がある。その息子が兄中山太郎、弟中山正暉である。
*佐藤勝巳…現代コリア研究所所長。 かって北朝鮮はこの世の天国と、帰還運動を手伝い煽動したが、後に、その内情を知り、深く反省して以後、それに連なる拉致家族を救う運動に身を投じている。中山氏は共産主義者だと言って非難しているが、中山氏はどうやら「男子三日みざれば剋目して待つべし」と言う言葉を知らないらしい。
|