目次過去未来


2002年11月20日(水) キャパにはなれない。



 いつものように、世間から言うと常識はずれの午前四時頃、風呂に入っていると何だかきな臭い。気になりながらも風呂から上がり、出たところで、消防のけたたましいサイレン、丁度一年前まったく似たような時刻に町内で火事があり、外に飛び出て、消火に駆けつけた事を思いだし、あわてて裏庭から外を見たら、以前より身近な場所、北側に火の手が上がり、火の粉が夜明け前の夜空に舞っている。半分濡れたままの身体に、衣服をつけ飛び出していった。
 野次馬で飛び出したのではない。この辺は古い木造建築の民家、禅寺永観堂などがあり、火が移ると大変な事になる、今住んでいる家もアルミサッシなどない木造の家で、火が移るとひとたまりもない。
そういう事から人事ではないのだ。駆けつけると、すでに消防車が来ており、消火の最中であった。

 前から短編映画を撮りたいとずっと思っていて、ようやくビデオカメラが手に入ったばっかりだったので、これを機会に、ドキュメンタリー風に撮ってみようと思い、用意して現場に戻った。手際の良い消防士、燃え上がる家屋と撮りながら、この辺でズーム、ここで場面変換のための切り替えなどと思いながら撮していたが、途中で嫌悪感を催して撮るのをやめてしまった。
 
 プロの報道カメラマンは、横でばしゃばしゃ写真を撮っている。それがどうしても出来なかった。中に老夫婦の一人がいて絶望的な状態である。
素人の自分にはどうしても平静な状態でカメラは回せなかった。なんかとても後ろめたい気がした。
 結局、燃えるのが一段落して、近所にこれ以上の事がないのを見届けて帰ってきた。北二三軒おいた家の失火であった。この一年で同じ町内で火事が三軒あった。この前は親子三人が焼死し、もう一つは若王子神社の上の山中、そして今回、上に寝ていた老夫婦の奥さんが亡くなった。

 人が撃たれて倒れる瞬間を撮った(最近やらせの疑いが出ている位、偶然にしてもあまりにも上手く撮れている)、ロバート・キャパや、ベトナムで焼け出されて、真裸で道を逃げてくる少女を撮った写真家がいるが、戦争している最中にカメラを戦地に持って入って、人の修羅場を撮るという行為は、到底真似が出来ない。感情の方が表に出てしまって、撮ることが出来ないタイプの人間だと、いい歳して初めて自分の事が分かった気がした。
 










myrte21 |MAILHomePage