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2002年06月18日(火) |
今日の敵、トルコを知る |
トルコは日本とよく似た習慣がある。家庭では大和座りと同じ、正座をする。靴を脱いで部屋に上がる。床に座り、ちゃぶ台で食事する。亭主関白である(日本はほとんど亡びたが)。トイレはその言う和式(フランスではトルコ式という)と同じ。
江戸末期頃、世界では、欧米諸国以外で、まだ憲法政治を実現した民族はなかった。1870年代後半にトルコが立憲政治を始めたが、わずか一年足らずで憲法停止・議会解散に追い込まれた。キリスト教白人国家以外では立憲政治は不可能というのが世界常識だった。その常識を破って成功したのが日本の明治維新であった。 オスマン・トルコ帝国は明治23年同じような立場にあったこともあり、エルトゥールル号を仕たてて、総勢約700名を使節団として日本に派遣した。目的も達成し帰国となったが、台風の季節と重なり、船が巻き込まれ大惨事となる。日本は官民挙げて救護、捜索、船の引き上げなど献身的に行い、義捐金の募集も広く行われ、遭難地近く、和歌山県大島の樫野崎に慰霊碑も建てられ、生き残った人々は軍艦「金剛」「比叡」により丁寧に送還された。だから、イスタンブールの海軍博物館には、今もエルトゥールル号の遺品や日本で作られた追悼歌の楽譜などが展示されている。
現代のトルコは、国歌が町中で演奏されると、例え信号の途中であろうと、車はそのまま止まり敬意を表する。同国内で日の丸を巡って賛成反対などどもめている国とは対照的である。 外国はどこに行きたいかと聞かれると、トルコ人は半数以上が日本と答える国柄である。親日の国でもある。東郷平八郎に敬意を表して、通りにその名前をつけている。肝心の日本の教科書には数行しか出てこないが(扶桑社の教科書は除く)。 敵を知り、頭に入れて観戦するのもまた楽しからずや。
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