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2002年03月11日(月) 日本人の脳
-外人にこおろぎの鳴き声は聞こえない?-



 林秀彦(作家)と角田忠信(東京医科歯科大名誉教授)との間で交わされた対談の抜粋。
 以下。

角田 外国から日本人の異質性、特異性が強調されるのはなぜか。そして、われわれもどこか彼らから阻害されているように感ずるのはなぜか。
それはやっぱりわれわれが文化として根強く持っているもの、外界を認知する枠組みが彼らと大きく異なっているからなんです。

林 その枠組みとはですね。「日本語」によって形づくられたもの

角田 そうです。ただ日本語に行き着くまでにはいくつかの過程がありました。まだキューバが〃鉄のカーテン。の向こうにあって往来に大変な制限があった頃ですが、学会に招かれて講演したことがあります。西側からの出席者は私一人で、あとはソ運、キューバ、東欧圏の学者ばかりです。
ある夜、大きな庭園でパーティーが開かれたんですけれど、もう草茫々で(笑い)、コオロギか何か虫がしきりに鳴いている。
それがザアザア雨が降っているような音なんですね。私にはそれが虫の音だということが分かる。ところが周囲の人間は誰もその音が分からないんです。

林 虫の音だと分からない?

角田 いや、「聴こえない」と言うんですよ。全然聴こえないと。ロシア人もキューバ人もみんなです。音に気がつかない。私にとってはザアザアとあんまり情緒的な音ではなくて、うるさくてしようがない。そう言ったら、案内をしてくれたキューバ人の男女が「先生はきっとお疲れなんです。

早くホテルの部屋に帰って休まれたほうがいい」と言うんです。帰り道に、ひときわ激しく鳴いている草むらで、「ここでたくさんの虫が鳴いているのが分からない?」ともう一度たずねて、二人で代わる代わる草むらに首を突っ込んで聴いてもらったんだけれど、それでも二人とも、「聴こえない」と言うんですね。こんなことがあるのかと、もう私は本当にびっくりしました。

それから毎日その男女が迎えに来てくれて、一緒に行く道すがら、「これが虫の音だ」と教えていたら、三日目ぐらいにやっと男の人のほうが気がついた。虫の名前も知っていました。でも女の人はとうとう二週間まったく分からなかった。
ところがこれを学間的にやると、つまりその虫の音を録音してレシーバーを通して聴かせたら、これは誰でも分かるんです。音をモノとしてテープにして聴かせたら分かるけれど、自然にあるがままの状態だと分からない。

日本人と西欧人ではまったく違っていました。これは本当に驚きだった。西欧人では、左脳は言語音と子音、計算をつかさどり、あとは音楽も、機械音も、泣き笑いの声も、動物の鳴き声や、虫の音もみんな右脳がつかさどっています。
対して日本人は、音楽と機械音などの雑音は右脳ですが、あとはすべて左脳だったんです。言語音も、子音も、母音はもちろん、泣き笑いの声や動物の鳴き声、虫の音……、まさに日本人にとって左脳は有機的な心の世界、右脳は無機的なモノの世界なんです。

林 それを私なりに解釈させていただくと、ガイジンにはすべて雑音に聴こえる鼾(いびき)、動物の声、ハミング、嘆きの呻(うめき)欠伸(あくび)、泣き声、小川のせせらぎなどまでが日本人には全部意味のある言語音として左の脳に入ってきてしまう。
日本人が疲れやすく、過労死が多いのも、日常のこうした「意味音」がガイジンに比べて圧倒的に多いせいではないかとも思っているんです。

つまり右脳に比べ左脳の偏重便用過多、ということですね。たとえば虫の音がする所で人と会話するのは、二人の人間と同時に会話しているのと同じような状態になる。こうして自然の発する音がすべて言語音としてとらえられるということは、それによって神経や感性をも刺激するということだから、それは日本人の鋭敏な感覚や情緒を育てたことになる。
文字どおり花のささやきを聞き取ることができる。日本人の美意識、「もののあはれ」は、ここから生まれたというふうに思うんです。

角田 ロゴス(言語)とパトス(情緒)と自然が混然一体となった日本文化の特徴と、日本人の脳の機能は見事に一致する。私も脳の働きのレベルで文化論の裏付けがとれたように思っているんです。

林 ガイジンにとっては左脳はロゴス、右脳はパトスですが、われらが日本人はそんな"器用な〃使い分けができない。ロゴスもパトスも一緒くたに左に入ってしまう(笑い)。
ガイジンなら右に行く虫の音が日本人では左に入ってくるので、それに意味を持たさざるを得ず、一定のカテゴリーに当てはめることになった。これが日本語に擬声語、擬態語を極端なほど多様に、豊富に生み出させた原因ではないか。
そして、これらのことがガイジンと異なる自然認知の精神構造を育て、自然を人間と対立するものではなく、一体不離のものとする感覚に導いたのではないかと思うんです。
こうしたごちゃごちゃなところが八百万神(やおよろずのかみ)の源であり、日本人の「こころ」を形づくったのではないか。
ロゴスとパトスがごちゃまぜになっているもの、それがハートでもなく、スピリットでもない、日本人独特の「こころ」ではないかと。

角田 なるほど。しかし、そういう日本人の特異性というものは、外国人から見たら決して愉快ではないというのが、実のところ私の正直な感触です。

                        月刊正論より引用
             * *******  

 結論として日本語は短音の母音がキーになっていて、一語で発音して意味をなす語例えば「e(柄、絵、衣)」や「u(鵜、雨、羽)などを多用している。こういう民族はポリネシアに少しあるだけで世界に例がない。
つまるところ、西洋人でも日本で育ち日本語をマスターすると、日本人の脳になるところが面白い。これで俳句が外国人には理解不能なのがよくわかった。
こうろぎも、時計の音も、風も、日本人はすべて言語脳(左脳)で聞くからという事になる。

     子豚ちゃん、庭の芝生で笑ってる。

(何年も前のニューズウィークだったかに掲載された全米俳句優勝者の句)
    
ヽ(。_゜)ノ










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