先週はずっと受注先で仕事だったので、日記書けませんでした。 わたしはいっつも電車の中で日記書いているんですよ。 朝は始発だし、帰りは品川から乗るんですが、品川から混むので最悪1本待ては絶対に座れるんですよね。 品川−津田沼間40分もあるので、そこで日記書いてます。(勇気あるっしょ(^-^;)) もちっと早い時間に帰れれば、おうちで書けるんだけどなぁ。
しかも客先+本気で忙しかったため、気分転換や休み時間のネット巡回も出来ず。 たばこも吸わないから、トイレ休憩以外に休まる時間なし。 しょんぼりです。
そして今週は大変なことが起きました。
あんまりに考えることが多くて、何度読み返してもちゃんとした文章にはなりませんでした。 読みにくい文章であることを予めお詫びします。
連日様々な角度からくり返し放映されるマンハッタンビル崩落。 くり返し突入させられる、犠牲者を乗せた飛行機。 大勢の死の瞬間を何度通過しても、それでも世界は回っていて、それでも普通に生活しなくちゃいけなくて。
もっと広く考えれば、どんなに自分が楽しい瞬間でも、どこかで戦争や飢餓に苦しんでいる人がいることを、そんなことを考えもしてなかった自分を思い出させられて。
火はまだくすぶり続けてます。 沢山の同僚が被害者の救出の時に犠牲になりながらも、それでも救助活動を続ける人達。
非常階段は人が2〜3人しか通れるだけの幅がなかったと。 でも、こんなことを予測し得たでしょうか。
しかし、やろうと思ってしまったら、わたしだって一番効果的にやろうとする。 人の集まる場所・時間。
でも、普通はそんなことを思いもしない筈なのです。 人の命は地球より重いって教わっただけじゃなくて、自分にとって大切な人がいるように、赤の他人だって誰かの愛しい人に違いないことを知っているから。知らなくったって想像できるから。
情報を統制されて、偏った見方しか教われなかった可哀想な子供達。 かつての日本もそうだったんでしょうね。
1000人もの人がいれば、1000通りの正義と価値観があるだろうし、わたしなんかが想像出来ない状況と環境で育ち、想像出来ない信念で動いている人もいるでしょう。 迫害されたり、弾圧されたり、産まれた時から差別されることを余儀なくされている人達もいるでしょう。 日本にもまだ、ありますよね。出自による差別。 ぬるま湯の中で生きてきたわたしには到底わかりっこないでしょう。 どれだけの苦しみがあって、その中で己の理想や未来を切り開こうとしていこうとしてたかなんて、理解出来る筈もありません。
テレビのリポーターが、イスラエルの人にインタビューしていました。 「ビルの人達が可哀想ではありませんか」 それに対する答え。 「それならまず、わたしたちに対して同じ質問をするべきです」
確かにそうなのかもしれないです。 でもだからといって、許せるはずもなく。
ちょうど、先日まで読んでいた本の中に、わたしがうまく言葉に出来なかったことが文章にされてました。
「無関係の、罪のない者たちの死を恐れずして、何が”未来”だ……!」
上遠野浩平さん著の「紫骸城殺人事件」の中の台詞です。(多分引用権が行使できるはず…。だめだったらどうしよう) 自分達の未来のためなら、犠牲になることを犠牲者を出すことを辞せないというテロリストに対する怒りを表した場面です。
多分、そういうことなんだと思います。 生活するのに、宗教を心の支えにしなくてはいられない人々も多くいるでしょう。 でも、支えは支えであって、それを守る為に誰かを傷つけることはあってはいけないと、ただ単純に思うのです。 護るべきものは場所や物ではなく、人の心なんだと。
アメリカはどうして「正当な報復」という意味合いの戦争にあれだけ支持できるんでしょう。 大統領の支持率もものすごいことになってますね。
そして、今わたしに出来ることはなんだろう。 募金とかどうなってるのかな。 血液だって足りてないはずだし。 飛行機は飛び始めたそうですね。先週外国に郵便を送ろうとした会社の人の話では、「届きません」とのことでした。 これから支援活動も活発になるのではないでしょうか。
事件後少ししてHPにあった、クリック募金をしてみたけど、重すぎるのかつながりませんでした。 クリックするだけで何円とか募金できるんだそうです。 今日改めてGenkyさんのところのリンクから募金してきました。 1日で10万円だそうです。 どうかんがえても、足りないでしょう。
戦争をするのにあれだけのお金を捻出して、犠牲者たちや町の復興にお金が出せるんでしょうか。 確かに禍根を絶っておかないと、安心して暮らせないというのはわかります。
そして、とりあえず今わたしに出来ることは、大切な人がいることの喜びを噛みしめ、日々を一生懸命生きるしかないのです。 あと祈ること。祈るために、いろいろな判断材料を収集して。 間違った対象に祈りをささげないために。
具体的に祈るのは、失敗するから嫌いなので、漠然と祈ります。
世界に希望が残されていますように。
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