オクラホマ・スティルウォーターから

2004年11月11日(木) パレスチナ

 UCは今日のベテランズデー(退役軍人の日)で休みだが、ネジャーティはお昼前に出かけて行った・・・・。

 さて、アメリカ時間では昨日、パレスチナ解放機構のリーダーだったアラファトの死去のニュースが伝えられた。パレスチナというと、フロリダ時代にパレスチナから来ていた留学生モハメッドを思い出す。

 以前にも何かの折に日記に書いたのでダブってしまうのだが、社会学部(4大・院)の中でも一番難しいとして知られていた都市計画学を専攻していた彼は、その中でも優秀だったと聞いたことがある。

 彼と直接話す機会というのはほとんどなかったが、彼と親しい日本人学生がいて、一度他の日本人たちも一緒に本屋のカフェでお茶をしたことがあった。それが、彼がパレスチナに帰るだか何かでお茶をしたような気もするのだが、今となっては定かではない(しかも、5、6人の日本人の中に彼一人)。

 当時も安全面でパレスチナに戻っても大丈夫なのかといった言葉を誰ともなく彼にかけていたが、自治政府であってもなくても、不安定な地域での都市計画にきっと携わるであろう彼にとっては、都市計画の研究は決して机上のものではなく、自国をどうすればいいか、という現実に差し迫ったものだったんだろうと思う。

 ちょっと気になって彼の名で検索したら、2002年の4月にジェニンという町近くにある難民キャンプについて、あるサイトにニュースレターを送っていることがわかった。2年半経つ今、彼の無事を祈るのみ。


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