オハイオに長く住む近所の年配の女性から、オハイオの生活は好きかどうか、と聞かれて、一つだけ足りないものを挙げるなら、それは海から遠いことかなと思った。
海のことは折に触れ書いてるが、海まで歩いて行けるところに生まれ育ち(といっても泳ぐわけではないが)、今でも海が見えるところに実家があると、海がない生活というのがたまに不安になる。昨日の日記には静岡について触れたが、私が学生時代に住んでいた三島は盆地で海に面していなかったが、ちょっと電車で走ると、海岸線が見えたし、伊豆半島をちょくちょく回って海を見ていたので、何とかなっていた。フロリダではビーチには遠いまでも、海までは1時間もあれば行けたし、透き通るような川や淡水泉もあったので、そこも何とかなっていた。ニューハンプシャーに至っては、町が海に面していて、海岸線をよくドライブしたが、何もないニューハンプシャーで、海があることは得点としては大きかった。
前にも海は解放感があって、水がないところは息が詰まるような気がする、というようなことを書いたように思うし、日本から来た友人にも漏らしたのだが、それ以外で、海がないところでたまに不安になる、というのは、内陸に自分一人がポツンといるわけではないものの、内陸にいるというのが、どこか置いてきぼりにされているような気がしてしまうのだった。もちろん自分は運転もするし、地理的感覚もそれなりにあるから、行こうと思うところへ行けるのだが、なぜか海辺にいる方が安心な気がするのだ。
「高所恐怖症」とか「閉所恐怖症」とかあるけど、あえてつければ「海がない内陸恐怖症」となるのかな。
オハイオに来てから日本に帰ってないし、海があるところにも行っていないので、こんなに長く海を見ていないのは初めてだ。
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