この春は、というよりこの春も? パステルカラーの春らしい色の服がよく見られる。 ところで、先週の週末だったか、隣のサディラのおかあさんが、「サディラが着られない服があるから、気に入ったのがあったら取って、あとは処分してもらっていいから」と枕カバーに2つ分入るぐらいの着るものを入れて持ってきた。
先週はバタバタしていてじっくり見る時間がなかったので、今週に入って見てみたら、 たくさん服があるのでびっくりしたが、洗濯してきれいになるものなのか、それともきれいにならないものなのか、というものもあって、その中で着られるものというと限られていた。冬のジャケットも、サディラのお母さん曰く、状態はいいから(good condition)と言っていたが、よく見ると、前の方が汚れていて、子供だから飲み物とか飲んで汚すのは仕方ないが、すぐ洗ったらたぶんきれいになっているのになあと思うのだった。日本人にだったら、汚れがなくて、おそらく着てもらえそうなものを渡すのだろうが、アメリカ人ってそうじゃなくて、いろんな物が入っているけど、その中で気に入ったものが取ってね、という感じで、それは、ヤードセールで、誰が買うねん、というものまで置いてあるのと一緒だ。
長年アメリカにいると、こういうことで少しはびっくりしても、驚き度というのも少なくなっていることに気が付く。
それはいいとして、前からも気になっていたのだが、サディラの服の色だった。ちなみにサディラはこの8月で5歳になるので、梨奈と半年は年が離れている女の子だ。それで、見覚えのあるものもあったのだが、全体的に青や暗い色が多いことだった。
もちろんTシャツは白いものもあったし、ジーンズだと青だが、他の服で女の子らしい色というか明るい色がないことだった。ネジャーティもそれに気づいたらしい。梨奈に服を買うときは、ピンクや赤、黄色といったものが多いし、女の子の服というとそういうのしか気にしなかったので、こういう色の女の子の服ってあるのかな、と驚いたし、よくこれだけこういう色の服があったなあと思ったのだった。売ってあるから買えるわけだが、アメリカの色彩感覚というのはお世辞でもいいとは言えず、日本だったらこの年の女の子にこういう色はないやろう、とか、もともとそういう色は・・・・と思う色だった。
それをサディラが好んで着ているのか、それとも親の趣味で買っているのかはわからないが、一見元気がよさそうなサディラがよく寂しそうな顔に見えるのは、服の色からそう見えるのか、服の色からサディラの心境がそうなるのか、と思ったりするのだった。
|