オクラホマ・スティルウォーターから

2002年10月06日(日) 来客

 お昼過ぎにはトルコ人教授一行がシンシナティーに着くかもしれないし、その後、少し休憩を挟んでもシンシナティーの町を回ることになっていて、時間がないかので、午前中から夕食の支度を始めた。
 品数も少し多くしたこともあったが、大人数の料理を作るのは思ったより大変で、大家族の料理を毎日作っている女性には頭が下がる。

 トルコ人教授一行というのはご主人のアリフ、奥さんのペリハン、ペリハンの下で研究しているヌギュルという女性の3人で、一行は(なんか、水戸黄門のナレーションみたい、、、)、昨日はオハイオの州都のコロンバスで、ネジャーティの友人のオカンの家族に会う予定になっていた。そして、どこかで泊まることになっているので、オカンに電話をして、教授がいつコロンバスを発ったか聞いてみた。もちろんネジャーティが電話するのだが、電話すると、オカンの息子が出て、オカンと奥さんと、教授のホテルに行っている、ということだった。だから、まだコロンバスにいるか、出たばっかりだから、シンシナティーに着くのは3時ぐらいかなと思っていた。

 3時ぐらいに教授から電話がかかってきて、まだシンシナティーまで60マイルあるから、ということだった。この分だと、着くのは4時ぐらいで、予定していたところを全部回るのは無理そうだ。

 4時過ぎに無事に教授一行が到着した。30分ぐらい休憩した後、車2台で大学のキャンパスを通って、ケンタッキー側とダウンタウンが一望できるところにいくつか行った。そしてダウンタウンを走った後、うちに帰った。ネジャーティは教授の車に、ヌギュルは私の車に乗っていろいろ話した。ヌギュルはヨーロッパ系のようだが、日本にもいてそうな顔だ。トルコ人はラテン系に近いのもあるが、ヌギュルは色で例えると水色で、すっとそよ風が吹くような爽やかさを持っている。トルコ人全部が全部そうじゃないが、爽やかさを持っている人が割といる。

 ヌギュルは9ヶ月間、教授が客員教授としてきているバージニア大学で研究のために来ていて、11月にはトルコに戻るらしい。それで、オカンと同じくペリハンが指導教授なので、バージニアに来ているのだが、今回、オハイオにも同行することになったようだ。

 アリフがバージニアからずっと運転してきたそうだが、やはり長距離なので、運転してもしなくても疲れる距離だ。お昼も簡単だったそうで、2人でおなかすいたねえ、とシンシナティーめぐりも楽しんだが、夕食が待ち遠しかった。ダウンタウンからも家まで30分ぐらいかかるから、寝てていいよ、と言っていたので、少し寝ていた。

 家に帰って、夕食を並べて、やっと夕食にありついた。日本食レストランでは出ないメニューだね、と喜んでくれた。和食はしょうゆ味ベースなので、トマトベースの料理を食べているトルコの人の口に合うかどうかわからなかったが、ネジャーティは「違うもの」としてよかったんじゃないの、と言ってくれた。後で聞くと、写真を撮りたかったが、カメラを車の中に置いてきたので撮れなかったということだった(そんな大したもの作ってません、、、)。和食は小皿を出すからそれが珍しかったみたいで、、、。

 ネジャーティにレンコンは「ハスの根 (lotus root)」だと説明したのだが、ハスを英語で知らなくて、意味を知らないままでいた。アリフからトルコ語で説明されたやっとわかったらしく、「その花の名前が女の子の名前になってるんだよ」と言っていた。

 アリフはトルコの大学の総長になったり、学部長になったり、トルコの政府やヨーロッパ連合(EU)、世界銀行などの機関が関係しているプロジェクトのメンバーに入っていたりと、本当はすごい人らしいのだが、とても気さくで、そういうことを全然感じさせない。また、日本には行ったことがないものの、日本のこともよく知っていて、会話も楽しんだ。

 キャンパス内の学校が提携しているホテルに今日は泊まるので、私が教授をホテルに送っていった。高速道路には電気がついていて(田舎では真っ暗です)、やっぱり街中だなあと思い、走り心地がよかった。梨奈は市内めぐりからずっと寝ていて、ネジャーティに見てもらうことになって、1時間ほど自分の時間を楽しんだ。帰ってからも梨奈は寝ていた。

 今日も楽しかったが疲れた。


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