オクラホマ・スティルウォーターから

2002年01月17日(木) 震災から7年

 やはりこの日が来ると、震災のことを思い出す。もう7年も経ってしまって、だいぶ過去のことになってきているような気もする。それでもあの日起きた地震、復興までの過程や日常生活の不便さ、3ヶ月ぶりに神戸に行くと思ったより被害がひどくてショックだったこと、また大阪や京都に行くと普段の生活に戻っている人々の様子にショックだったことは忘れていない。

 地震当日とそれ以降のことは去年の日記にもHPでも書いたので省略して、地震の前日と前々日の事を書くと、その2日間は成人の日と日曜日で神戸も賑わっていた。当時は神戸にある人工島でアルバイトをしていて、15、16日は稼ぎ時だったので、当然駆り出されていた。アルバイトの帰りに神戸の中心地の三宮で買い物をした。地下街とつながっている駅ビルの地下に入っているお店でかばんを見つけて、買おうかどうしようか迷ったが、何か買う気になって買った。

 次の朝、地震があった。この地震が半日前にずれていたら、どうなっていただろう。地下街は割と大丈夫だったので、きっと問題なかったが、西宮までどうやって帰っていただろう。当時は今のように携帯が発達していなかったし、公衆電話を使おうとしてももしかしたらつながらないかもしれないし、連絡の取りようがない。

 人工島と三宮を走る無人ライナーの高架部分が落下したが、もしもう少し早い時間にに乗っていて地震が起きたらどうなっていただろう。いつも乗る阪急の三宮の駅ビルは壊れてしまったし、、、。火事があったのは神戸の中心街の三宮付近ではなかったが、いずれにしても私は三宮で地獄絵を見たことだろう。

 地震が起きてから7ヶ月してフロリダに行ったこと、またフロリダに行く直前に電車も全線開通したこともあって、自分の中では一つ区切りがついた。でもまだまだ復興には程遠かった。

 あれから7年と振り返ると、復興と、ほぼ同時期に始まったアメリカでの生活とを照らし合わせてしまう。


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