日々の泡・あるいは魚の寝言

2000年12月10日(日) 宝物

こんなことになるんじゃないかなあと薄々思っていたんですが、やはりこの日記は、日記というより、日替わり短編エッセイみたいになってきましたね(^^;)。
ドラマチックで、書き手の内面がのぞけて、ちょっとどきどきしちゃうような、ちまたにあるようなWEB日記というものは、やはり誰にでも書けるものじゃないのでしょうか?

でもやっぱりわたしには、「人が読むとわかっている文章」に、心の内面のどろどろとか、鬱屈とか鬱憤とか、そういうのは書けないなあ…。
いや、書くことは書くんだろうけど、たぶんストレートには書かないで、婉曲的な表現にするか、エッセイとして書いてしまうだろうと思います。
人間向き不向きがあるようです。
かっこ付けの激しいわたしは不幸。

(ほんというと、自分の感情を率直に綴るのって、自分にとっていいことのような気がするので、つまりそういうことをすることによって、自分の感情に向かい合ったり、処し方を学んだりする事ができるような気がするので、ちょっと、やってみたかったのです。でもだめだー)。

ところで。
「風の丘のルルー5」には、読者のお便りを紹介するページがつくんです。
で、ルルーあてにきたお便りを、編集のNさんにたのまれて、東京に持っていくことになったのですが、読み返しているうちに、なんか胸にくるものがあって。

ルルーだけ本棚に置かないで、机の引き出しにしまっている子の話とか、
どれくらい泣いたか言葉を尽くして書いてくれてる子の手紙とか、
鉛筆書きの似顔絵付きのはがきとか、
そういうのをまとめて読んでいると、「わたしは十分幸福なんだな」と、強く思いました。

仕事が大変だとか、お金が儲からないとか、日々の暮らしのなかでたまには、不平不満を言ったりもしてきましたが、このたくさんの手紙を見て、ルルーの本を心の支えにしてくれている子どもたちがこんなにたくさんいるのだから、これ以上、なにも望んではいけないのだなと、思いました。

そして、今更ながら、本を一番愛してくれる年代である、小さな子どもたちに読んでもらえる本を自分が書けるということ、そういう職業に希望どおりにつけたということに、感謝しなくてはいけないのだなと思いました。

「思いました」「思いました」って、作家とは思えない、作文みたいな文章を書いてしまいましたが(笑)、ほんとにそう思っちゃった。
明日から、東京に行きます。
謙虚な気分で、担当編集者のみなさんに会ってきます。
日記は、15日までお休みです。ではまた☆


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