両親が長崎人なので、わたしも長崎の人ですが、でもって、今も実際長崎市在住なんですが、育ちは長崎じゃないのです。
父親が海上自衛官だったので、ほぼ日本全国を、転々としていました。 数ヶ月から、長くても二年くらいで、転勤していたのです。 小学校は、六つの学校に通いました。 当時の、「また転校することになったから」と、親からきいたときの、心を切られるような悲しさは、今も忘れることはありません。 不思議なもので、友だちがいない学校や、ひどい教師がいた学校でも、転校することへの抵抗はいつだって、強くありました。 子ども(幼い動物)の持つ本能のようなものが、すんでいる場所から移動することを拒否していたのかな、と、今は思います。たぶん幼い動物は、そんなに居場所を移動するようには造られていないのです。本能のようなものが反対していたのではないかと思われるほど、転校という出来事は、つらい経験でした。 (だから、自分の経験からいって、子どもに転校させるくらいなら、親は単身赴任するべきだ、と、わたしは思っております)。
転校を繰り返していたころ、関東に住む機会が多くありました。 とくに、千葉県には、小学校六年生の終わりから中学二年の終わりにかけての、一番多感な時期に暮らしていたので、今も、心のふるさとになっています。 冬の関東の空の、どこまでも透き通った色や、幻のように浮かぶ富士山の姿。遠くの東京の空に落ちる稲妻の音のない光。 そんな情景が、今も忘れられません。
作家になって以来、年に一度くらいは、上京するようになりましたが、飛行機で関東平野に舞い降りるたびに、故郷に帰ってきたような気がします。 生まれた川に帰る魚が、小さな時分にいつの間にか水の味を覚えるように、わたしもまた、小さな時分に、関東の空の色を身体に取り込んでしまっているのかもしれません。
11日からはまた、関東の空の下に帰ります。
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