CORKSCREW Diaries(米国編) |
2002年6月21日 釜山−尉山 いよいよワールドカップの準々決勝を観戦する日になった。 チケット申し込みから2ヶ月半。 まさかこんなに簡単にチケットが取れるとは思わなかったワールドカップ。 飛行機の値段も予想外に安かったし、 日本で行われるゲームのチケットが取れなかったとお嘆きの皆さんは、 韓国のゲームのチケットを買ったら良かったのにねえ。 物価も安いし、下手に北海道なんかに行ってしまうよりもはるかに安いと思うんだけどなあ。 などと言ってももう大会は始まってしまったからもう遅い。 日本で羨ましがる同僚や友人を置いて僕はこの韓国に帰ってきた。 会計検査なるものの真っ只中なのだがそんなこと僕の知ったことではない。 ま、いっか。いや、決して良くはないんだけど。 そうして釜山での朝はまた始まった。 と言うか、今回もまた6時半から授業が始まるのだ。 勘弁してください亮佑先生。 いや、たとえ亮佑先生が勘弁してくれたとしても生徒の皆さんが勘弁してくれないだろう。 たとえ勘弁してくれたとしてもきっとがっかりすることだろう。 それはいけない。 と言うことで頑張って起きた。 隣でカシウチさんは寝ているのだがまあ気にしない気にしない。 前回は僕がもたもたしていたおかげで遅刻しかけてダッシュする羽目になってしまったのでその反省?を活かして今回は素早く準備を済ませた、僕は。 しかし今回は亮佑の方が準備が遅かったんだよ〜、もう。 で、結局今回もダッシュする羽目に・・・ 今回はちょっと息切れしてしまった。 そのまま蔚山に移動する予定だったから荷物もいっぱい持ってきてたのだ。 3月の時と比べて同じ6時半でも外は大分明るい。 しかし毎日6時半は早いよなあ。生徒と違って先生は授業をそうやたらとキャンセルする訳にはいかないもんね。僕は今日一日だけだからまあいいやって思えるけど、毎日6時半って言うのはさすがに辛いと思う。 午前中は4時間連続で終了なのだ。3月は6時間連続だったことを考えると、 6月は授業数が減ったみたいだ。大学も試験シーズンみたいで総じて出席率は低かったような気がする。授業が減ったらそれだけ楽が出来るかって言えば決してそうではなくって、亮佑先生の収入に直結するのだ。亮佑にとっては頭が痛い問題と言えよう。 そして本日1時間目の授業、6時35分から。 前回はいなかった人もいるけど、この前にも会った人もちゃんといる。ちゃんと覚えてるよ。 お久しぶりです。再びお会いできて本当に嬉しいです。 韓国語を勉強する予定だったけど思った以上に出来てないのが本当に残念です。って言う感じ。 やっぱり6時半殻の授業は眠かったのか、あんまり内容は今回は覚えてない。 韓国ではやっぱり代表チームの躍進がすごいムーブメントを沸き起こしているらしくって、 やっぱりみんな「次も韓国が勝ちます」って言ってた。 誤審騒動についてはちょっと心を痛めているみたいで、何度かメールを書いてくれたカンさんがしきりに気にしてた。うーん、あのイタリア戦のトッティの退場はまあ仕方がないんじゃないかなあ。 退場が誤審だったとしても、それがイタリアの敗戦に直結した訳じゃないし。 日本の掲示板とかニュースを見て、心配しているらしい。 まあ結構日本ではあの試合を観て感動した人の方が多いから、 あんまり気にしないで欲しいって言ったんだけどね。 そうそう、釜山市にお勤めの公務員の河さんとも結構お話したね。奥さんは研究職で日本に行ってしまっているらしい。現在は一人で寂しいんだろうな。 ここPAGODAには本当にこういうかなり頭のいい人が多い。 亮佑とか僕のアホさ加減がバレないことを祈ろう。 それにしても韓国の男性は本当に奥さんを愛してて大切にしているみたいで、 奥さんのことをツッコむと河さんもいろいろ話してくれた。 「写真とかいつも持っていますか?」って聞いたら、「はい」と答えてくれて、 そんで見せてくれたのだ。美人の奥さんだったなあ。 河さん奥さんと子供さんをいつまでも大切にして下さいね。 (2002/06/29) 2時間目 3月の時はこの時間が一番盛り上がった時間だったので、 今回はどうなるんだろう・・・って思ってたんだけど、この時間も人は大分入れ替わっておりました。 人数も2人だけ。普段は3人って話なんだけど。 やっぱり学生の皆さんは試験期間中って言うのが効いているのかも知れない。 今回の生徒さんはアダルトなお二人の女性でございました。 一人は新婚ほやほやの奥様。 もう一人は・・・分からないんだけど、僕と同じ年くらいかなあ。 もう結婚してるぐらいの落ち着いた方でした。 3月の紀行にも書いたんだけど、韓国の人結婚しているしていないに関わらず左手の薬指に指輪をファッションでしているから良く分からないのだ。でも結婚してそうな感じのする美人でした。 新婚さんの方は、旦那さんが今は大津の東レで働いているみたいで、 もうすぐ日本にやってくるそうです。 そのために現在日本語を勉強しているんだって。 1時間目の河さんと言い、はなればなれの夫婦が多いなあと思ってしまった。 しかし東レって言うのも一流企業だからねえ、やっぱりここの生徒、エリート多いなあ。 大津にすむ予定と言うことで、よろしければまた韓国語を教えて下さいと、名詞を渡しました。 なにか有ればよろしくお願いします。 でも早く一緒に暮らせるといいですね。 3時間目 本日は全ての時間和やかに流れております。 いや別に3月の時が和やかじゃなかったと言うことはなかったんだけど。 なんとな〜くまったりとした雰囲気。 先生やクラスの雰囲気になじめなかったりした人はやめたり、 クラスを代わったりした影響なのかもしれない。 3時間目は前回ではなかなか会話が成立せずに亮佑先生が苦労したクラスだったんだけど、 今回は一番の盛り上がりを見せたのが3時間目。 どうやら大分クラスのみんなも馴染んできたらしい。 そうそう、3月に亮佑にケーキをプレゼントしていたのもこのクラスなんだよね。 前回はあまりにもクラスが盛り上がらなくって心配だったんだけど、新しい人も増えて今回は大変楽しいクラスになっていた。 リュウくんが買って来てたんだった。懐かしい。 彼は一昨日はお酒を飲みすぎて昨日の授業は来れなかったらしい。 ま、韓国も勝ったことだしね。 国中お祭り騒ぎの韓国を少しうらやましく思う。 あまりにもうれしくて3時間歩いて家まで帰ったとか、なんか韓国ってすごいって思う。 何て言うかもう、情熱的。 日本人の僕にはとても真似が出来ないなあと思った。 リュウ君だけじゃなくって、3月に出会った人にもいっぱい再会した。 結構覚えてるもんだなあと思った。 今回の授業のメンツはすごい。 ロンドンに13年間留学している「関ちゃん」 (あいのりの関ちゃんにすごくよく似てるのだ) 今度京大に留学する予定のパクさん。 とかとかなんかすごい人が学びに来てる。 ちょっと今回の釜山ではサッカーの話題に終始しすぎてしまった感はあって、 内容をそんなに覚えていなかったんだけど、それでも楽しかったことはよく覚えてる。 パクさんとは京都での再会を誓ってアドレスを交換した。 色んなところで色んな人とこうして僕はリンクしていく。 この繋いだ糸を決して切ったりしないようにしないといけない。 (2002/07/01) 4時間目3月の時は午前中6時間たっぷり授業に参加したのだが、今回は4時間で終了。 ちょっと拍子抜けしてしまうなあ。 この時間は高級クラスの時間。 前回の旅行記にも書いたがここ韓国では「上級」ではなく「高級」と言うらしい。 高級クラスまで行くとほとんど日本語がペラペラと言う話だけど、 今回は上がりたてっていうのもあったからかなあ、ちょっとレベルにバラつきがあった感じだ。 ちょっと僕も「話せる」って思ってしまったからだろうか、かなり早口になってしまって、 話に参加出来る人と出来ない人に分かれてしまった。これは反省。 「出来る」って思ってしまうとゆっくり話そうと言う努力を怠ってしまうのは良くない。申し訳なく思った。 さてさて今回もまた新婚さんがおられると言うことで、 馴れ初めやらいろいろ聞かせてもらった。 うーん、参考になるなあ。 こういう事情と言うものは韓国でも日本でもあまり変わらないね。 やっぱり一番重要なのは情熱と愛情なのかもしれない。 そういえば授業で話題になったことを思い出した。 亮佑先生、釜山での生活も7ヶ月が過ぎたと言うことで、大分韓国語にも慣れてきたんだけど、 かな〜り、釜山のサトゥリ(方言)に染まってしまったみたいなのだ。 韓国語の勉強にしても基本時にはテレビの講座を見て勉強しているから、 まあ標準語の発音になるのだけれども、釜山サトゥリに染まりきったのは亮佑先生だったみたい。 日本でも関西弁を話す外国人って妙にウケるみたいなもので、 先生はサトゥリ使って話してる〜って言うのは、 結構、それはそれで生徒からは暖かく受け入れられている証拠なのだ。 今回の授業では、亮佑先生の趣味のせいか、 あまり深くて高尚な話にはならず、 どっちかって言えばライトで楽しい話になった、 韓国と日本の違いを深く突っ込んで話したりするよりも、 お互いに交流を深めたって気がする。 だから日本人対韓国人って言う感じじゃなくって、 本当に友達みたいな感じで話せたんじゃないだろうか。 まあ確かに、3月に行ったときはかなり緊張して固くなっていたからね。 ちょっと会話の内容が真面目になりすぎてしまった。 語学って言うのはまずは「楽しい」と言うことありきだと思う。 でも確かにせっかく日本人である僕が来ているのだから国際交流は深めたい。 そんなチャンスお互いになかなか無いんだから。 (2002/07/02) 本日の授業はこれで修了した。 4時間って言うのはあっという間だった。 あとはもう、カシウチ氏がやって来るのを待つばかりだ。僕は何度か行ったことのあるPAGODAだが、カシウチさんには地図を渡しただけだった。うーむ、彼は果たして無事に来られるのだろうか。いや、多分来られることは来られるとは思うけど、入りにくくないかなあ・・・大丈夫かなあ、と少し心配になる。 ま、あんまり心配しても仕方がないので、講師室で僕は日記の更新を行い、亮佑はメールチェックを行う。講師室も何にも変わっていない。懐かしく思いながらもモニターに向かって文字を打ち込んだ。色んな想いが交錯する。 今回もまたあまりにもせわしなさすぎてゆっくり授業に参加は出来なかったなあ。まあ今回はワールドカップ観戦が主な目的になるから仕方がない。試合は20時30分からだから、おそらく本日の帰りは12時を回るであろうと思われる。睡眠不足な上に朝の6時半から授業に出てしまったが、僕の体力は果たして持つのだろうか・・・? ううむ、しかしまあせっかくここまで来て授業に参加させて頂かない手はないのだ。(2002/07/03) そうして僕らはPAGODAの3階でソファに座って過ごした。 ジョンさんのバイトは13時までってことなので、バイトが終了次第お昼ご飯を食べに行く予定なのだ。 無事にカシウチさんとも合流に成功して、ぼやーっとする。 そう言えば3月のあの日も確かここでこんなことをしてジョンさんといたんだよなあ。 懐かしいなあ。 あの時はまだまだ寒かった。 なんてことを思った。 座ってたらジョンさんもやって来てまたいろいろ話す。 「ジョンさんバイト中でしょう? 大丈夫なの〜?」 とツッコんでみたが、「大丈夫なんです〜」とジョンさん。 この辺も3月の時と変わらない。 デジャヴみたい。 さすがに6時半起きは辛かったのか、どうもやっぱり眠い。 これからのハードなスケジュールを考えると体力を温存しておかないとまずいかもしれない。 そうしているうちに13時。ジョンさんのバイトも終わって、昼ご飯の時間だ。 昼ご飯は何にしよう。 キムチチゲにしようかユッケジャンにしようか、スンドゥブは昨日食べたよなあ。 うーむ、うむうむ。 結局、3月の時に食べたダッカルビポックンパプで決定。 タッカルビベースで作った、要は焼き飯である。 3月の時は中途半端な食欲であまり堪能できなかったので今回はリベンジ!なのだ。 どうも眠くってあまり会話が弾まない〜。 それに引き換えジョンさんは元気だった。 君は寝てるからだよ〜。 でもバイトお疲れさまジョンさん。 明日はいっぱい話しましょう。 昼食は美味でございました。 って言うかかなり辛かった。 辛かったけど美味しかった。 汗をかきかき食べたのです。 でもやめられない、とまらないのが韓国料理なのだ! (2002/07/05) 辛いものを食べた後は甘いデザートが食べたくなるのが人情であります。 特に韓国の料理は辛いだけに甘いものが食べたくなる。 シュークリームが食べたい!、と言うことで韓国で有名なパン屋さん、 クラウンベーカリーに行ってまいりました。 小さいシュークリームが一個50円! 安いなあ〜♪ 他にもパンを購入。クラウンベーカリーのパンは美味しいのだ。 韓国的物価を考えたらちょっと高いのかもしれないけれども。 さっきの昼食は我々が持ったと言うことで、ここはジョンさんにおごっていただきました。 ジョンさん有り難う〜。 そんなことをやっているうちに2時。 そろそろ尉山に向かって出発しなければ〜、と言う感じになった。 釜山市内からスタジアム行きのバスは結局無いってことで、 釜山総合バスターミナルにまずは向かう。 総合バスターミナルは釜山市内の北の外れ、老圃洞と言う所にある。 最近新設されたらしい。 新しく出来た施設と言うのは、確かにきれいで使いやすかったりするが、 土地の関係もあって街の中心部から遠いと言うパターンであるが、(関空しかり仁川しかり) 例によって釜山総合バスターミナルも果たしてそうであった。 中心部から地下鉄で30分と言うのは遠すぎる。 前にあったバスターミナルだったら15分ぐらいだったのになあ。 日本でもそうだが、韓国の地下鉄も線路が郊外に行ったら地上に上がる。 延々と広がる釜山の町並みは、多少の古さは感じたもののやはり大都市のそれだった。 サッカー観戦のために釜山から尉山に向かう人は少なくなかったらしい。 レプリカユニフォームを着た人々の姿も見られた。 釜山から尉山へはそれでもせいぜい1時間程度の距離。 この調子では4時前には着いてしまいそうだ。 イングランド×ブラジルの試合も(TVで)見られるかもしれない。 そんなことをカシウチさんと話しながらバスに乗った。 窓の外の景色を楽しみながら行こうと思ったのだが、 疲れていたせいかバスの中ではかなりぐっすり眠ってしまった。 気が付いたら外にサッカースタジアム。 大きくて広い。おまけにきれいなスタジアムだ。 ただし今はまだ3時。今から会場に入るのは早すぎる。 とりあえずはそのまま尉山高速バスターミナルに向かう。 街の中の雰囲気はワールドカップ歓迎ムードだった。各国の国旗が翻っている。街の中ではワールドカップを見に来ているのであろう外国人も多くいた。大体尉山行きのバスの中でさえ日本語が結構飛び交っているぐらいだし。結局尉山の街を歩いたりすることも無かったのだが、言ってしまえば地方都市と言う感じだ。広域市(日本で言ったら政令指定都市)だけのことはあって、街自体はきれいで都会だった。大抵のものはこの街に住んでいたら手に入るだろう。それでも韓国と言う国は日本以上に一極集中化が進んでいるのだが。 現代自動車のお膝元の工業都市。 日本で言ったら名古屋かなあ。 大きな街だけど特に見るべきものはあまりなさそうな感じだ。 「韓国らしい」風景がもしみたいのならば、やっぱり田舎に行くべきなのかもしれない。 そういうこともあって僕が好きなのは、やっぱり扶余の町だ。 あそこに行ったら、日本人が忘れていたものに出会うことが出来るから。 ただし扶余の町も最近では大分観光地化されてしまったのだけれども。 どこかでイングランド×ブラジル戦が観たいと言うカシウチさんのリクエストにお応えして ちょうどバスターミナルの待合室のTVで試合を観た、 ちょっとだけ観て別の場所にでも移動しようかと言っていたのだが結局最後まで見てしまった。 バスターミナルにはワールドカップ用のインフォメーションがあって、 日本語英語会話が出来るボランティアもいた。 しかしワールドカップを見に行く人はほとんどが日本人。 韓国人はほとんどいない。 ここでも日本語がかなり飛び交っていた。 TVで熱心にサッカーを観ていたのはやっぱり日本人とか外国人(韓国で言うところのね)ばかりで、 あまり韓国の人はいなかったような気もする。 やっぱり韓国では自分たちの出ている試合以外はあまり興味が無いのかもしれない。 試合はブラジルがロナウジーニョの退場にも関わらず2−1で勝利。 日本では多くのにわかベッカムファンが悲鳴をあげていたことであろう。 今回のワールドカップは、一人退場してもそれで崩れるパターンは少ない。 それだけその一人欠けた分をきっちりカバーするからだろうか。 ブラジルも一人退場したとは思えないぐらいの動きで結局勝ってしまった。 イングランド及ばず。 まあ一人退場した時にはリードを奪っているから、 守る側としてはそれなりに楽だったかもしれないが。 同点またはリードされた側が一人減った状態で逆転したり勝ち越すのは非常に難しい。 日本で見直したらベッカムもやはり調子は今一つだったようだ。 しかしこれで準決勝へのコマの一つは埋まった。ブラジル。 後の3つは何になるのだろうか。 そのうちの1つはこれからのこの尉山の試合で決まる。 神戸で行われていたこの準々決勝のスタジアムは満員だった。 例え組み合わせが尉山と同じくドイツ×アメリカでも満員なのは変わらなかっただろう。 果たして僕らの試合は埋まるのだろうか。 それは行ってみるまで分からないが。 日本での準々決勝一試合目が終わったのは5時半ぐらい。 徐々にスタジアムに人々が動き始める。 いつまでもバスターミナルにいてもしょうがないので、僕らもそろそろスタジアムに向かうことにする。 晩ご飯はスタジアムで適当に食べたらいいだろう。 と楽観視していたのが実は大きな過ちであったことに後で気付いたのだが、このときはまだそこまで頭は回らず。コンビニとかあるかと思ったのにスタジアム周辺には何もなかったのだ。しかも場内の飲食物売り場は種類少ないしその上高い。できればうどん系とか温かいものが食べたかったんだけど。 まあこのときの僕らはそんなことは思ってもいない。 スタジアム行きのシャトルバスに乗り込んだ。 高鳴る鼓動と期待。 いよいよこの全世界を席巻するイベントを生で観戦できる、そして参加できるのだ。 そしてシャトルバスは会場へと向かう。 (02/07/08) 一日の掲載可能文字数をオーバーしたので、続きは別の日付で改めて掲載します。 |