支店長の日記(戯言)
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2008年02月13日(水) 便利さが引き起こす妨げ?

先日、母校(高校)の監督と食事した時の会話で、なるほどと唸った(ちょっと大袈裟)ことを述べたい。私「子供達の守備をみていると腰高で不安だね。」 監督「これは、洋式トイレの影響だと思います。私達や先人の方々の大半が和式トイレで用を足した世代なので、子供の頃から自ずと踏ん張る訓練ができていたのではないかと考えます。」 私「確かに、低く構えて踏ん張るからな〜、それと、グラブ捌きも下手くそや。グラブを立てて前に突き出せん子が多いし、しっかりボールを掴んでないね。」監督「これは携帯電話のメール打ちが影響しているのではないかと、なぜならば、利き手でキー操作しているもので、勝手に利き手だけ強くなってしまうんです。定期的に、部員全員を握力測定すると左右アンバランス化しているんですよ。しっかりグラブを開いて、そしてボールを掴めなくなってきているのは事実です。」 この話を聞いていると、個人的には確信できないが、なんとなく理屈がとおる気がする。“便利さ”には否定感はない。むしろ有り難味を感じる。 この様に「不」がつきまとう 「不便」「不満」「不備」・・・「不」の要素を払拭すると、「感」に変わる。「感謝」「感動」「感心」・・・ 「感」を体験すると、次は「楽」を感じるものだ。→ いずれ堕落する。


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