「血縁」というモノ - 2005年01月24日(月) 不謹慎な話ですが、テレビなどで意識不明の状態の寝たきり患者や植物人間の話が出るとうちの母は 「お母さんがそうなったら延命治療はしなくて良いからね」 と言います。 そういう状態に陥ると、「一人っ子の私に迷惑がかかる」、というのと、「そういう状態になってまで生きたくない」というのが理由のようです。 昔は、そんな事を言われても「ふーん」と思っていました。 が、一人で暮らすようになり、会うたびに「老けたなあ」と思う両親の顔を見るたびに、いつかは私は「独り」になるのだと実感し始めました。 血縁、というものが必ずしも絶対ではないことは分かっていますが、 それでも、両親がいなくなれば、私と100%の血のつながりを持つ人間(両親も正確には50%ですが)は一人っ子の私にはいなくなるわけです。 そんな時、例え意識がなく、永遠に眠り続けるとしても、私と唯一完全な血のつながりを持つ親の「安楽死」を私が選択できるのか、ちょっと自信がありません。 大切な人が亡くなった時、その大切な人の「思い出」を語ることができる人がいることは、その人にとって、幾分かの救いになります。 兄弟がいる人は、その兄弟と「家族」の思い出を語ることができます。 でも、一人っ子の私には「親戚」として語れる縁者はいても「家族」として語れる人がいません。 いつかはその「瞬間」が来るのだと分かっていても、一秒でも長く、その「瞬間」を遅らせたい。 きっと私はその決断をすることはできないでしょう。 でも、その事は親には言えません。 言えば、いつかは来る最期の瞬間に、親はきっと多大なる心残りを遺すことになるからです。 -
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