宇佐美彰朗の雑記帳

2005年04月04日(月) 「びわ湖毎日マラソン」60回記念を迎えてーーその2

「びわ湖毎日マラソン大会」60回記念ーー「歓迎の夕べに招待を受けて」
     ―連載その2:「初優勝・五輪代表」:―

 「びわ湖マラソン」初出場の第3位が評価されて以来、全日本クラスの「マラソン強化合宿」に参加することが出来るようになりました。合宿では憧れの国際レベル級の選手と一緒で、それらの先輩から、私は強烈な「カルチャーショック」を受けたのです。

 先輩たちの「競技者生活」は、自分とは比べようがないほど厳しく、その行動の一つ一つは無論、マラソンに対する「考え方」、「食生活」へのこだわり、「トレーニング」への取り組み、世界に照準をあわせたその内容は、宇佐美には到底追いつくことは不可能であると思えたのでした。

 しかしここで受けた刺激のお陰で、翌年の「メキシコ五輪・プレ大会年」として、丁度この時期にメキシコ合宿のメンバーに加わることが出来ました。これが宇佐美の「海外遠征」初体験だったのです。何もかも珍しく・・あれよあれよという間に時間が経過して遠征は終了、あっという間に帰国しました。しかし具体的には表現できないものの、遠征に出かける前と後では、宇佐美の心身の中で何かが違っていました。

 こうした経験が効を奏してか、1968年4月の「びわ湖毎日マラソン大会」(「メキシコ五輪最終選考会!」)では驚いたことに「初優勝!!」に遭遇(?!)。まさかの出来事でした。

 いまでもそのレースの細部は刻銘に記憶しています。レースは終盤に入り、トップグループは「瀬田の唐橋」を渡り、35km地点。給水するときに足でも絡んで「コケないように!」と考え、先頭に出て宇佐美のスペシャルドリンクを取って飲み干し周囲を見ると、誰もいない! まさか「トップ!」なんて。ありえない! すぐ後に先輩達が続いているはず、でも見なかったのです。後を見るのが怖いのと、後を見るエネルギーがあるなら前に進むエネルギーに使え、という先輩の言葉を思い出したりしていたわけです!

 後続を待つこともなくこのまま自分でペースを維持し、いけるところまでいこう!と考えて走り進みました。ゴールまであと5km、まだ誰も脇に来ない!あと3km! それでも誰も来ている気配がない! それからは、逃げる体勢となりなんだか硬さ、苦しさが感じられ、以後残りの数キロがとても長く感じられました。
どうにか逃げ切って、一等賞! 大会記録で自己最高記録の達成でもありました!記録は2時間13分49秒でした。

 この成績で「メキシコ五輪・マラソン代表選手」の切符を手にすることとなりました。10月までの約半年間、夏は強いて暑い場所で負荷を強くした合宿をしたり、富士山五合目で高地トレーニングをして準備、大会にそなえました。

 本番のレースではアベベ選手(エチオピア)が途中リタイアするハプニングなどもありましたが、僚友のマモウ ウオルデ選手が優勝、日本の君原健二選手が第2位となり、宇佐美は第9位でした。


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