映画評 「NO!」 - 2014年09月25日(木) 映画「No」 公式サイト 1988年、独裁と国際的批判が高まったピノチェト政権が国際世論にこたえる形で行った政権の信任するか否かの国民投票。その国民投票の前、1か月間の深夜15分のコマーシャル枠で信任派と非信任派(NO派)がそれぞれの主張を国民に語る。そのNo派の15分映像の製作を担当した広告マンの物語。 映画のプロモーション映像を見ていたら、こう広告の力が独裁を打ち破るスカッとさわやかな話かと思ったが話はそう単純ではない。最後、独裁に打ち勝った後の主人公の憂愁を帯びた横顔は、そこに生きる生活者が独裁の後の現実をどう構築していくかという難題を私たちに想像させる、 ピノチェトの元、あれだけの弾圧と、それに苦しむ人が実在しながら、弾圧にあわずに済んだ普通の人々は新自由主義的ピノチェト政権の下で豊かさを得たとピノチェとを支持していた。そういう空気の中で不可視化され、共産主義者の烙印のもと弾圧を見て見ぬふりをされてきたNo派の人々が彼らの叫ぶ「ピノチェトNO!」の声をどれだけ広く社会に響かせることができるのか。そこで広告マンの主人公がまさに明るく楽しく、商業主義的コマーシャリズムの広告手法を用いて、「NOを叫ぼう」と多数派に訴えかける。 国民投票直前の各派の集会で政権がNo派の集会を妨害し、催涙弾が飛び交う弾圧が起きる。あの弾圧は「弾圧は実在した!」と人々に弾圧を可視化させ、結果的に最大のNo派のコマーシャルになったかもしれない。 ところで主人公の妻(?)にして活動家のベロニカ、なんかすごい女性でしたな。劇中2度も逮捕され、2度とも釈放され、主人公の心やら何やらいろいろとわしづかみで「持ち物が多い女」つうか「ハイスペックな女」と言ったらいいのか。若いわけでも美しいわけでもないけど異様な存在感のある女性でした。青春後期はああいう線の女を目指したいものです(え?結論そこ?)。 とにかく、政権のコンフォーミティ(同調圧力)の中でいかに声をあげ、多くの賛同者を得ていくか、今を生きる私たちにいろいろと示唆を与える内容になっています。 ...
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