映画評「チスル」 - 2014年04月11日(金) 1948年の済州島で行われた「焦土作戦」を舞台にした韓国映画チスルをみました。 去年マダン劇ゼロを観たとき、済州島出身の主人公が祖国へ帰ることを夢見ながらも帰れない原因となる暴力の影が暗示的に描かれてましたが、そのときあった暴力について描かれた映画だと思いました。 映画では史実の全貌が描かれるわけではなくて焦土作戦に参加したある小隊と山中に逃げ込んだ村人の数日間が描かれます。 村人はなんでこうなったのかよくわからないまま、あくまで村の人間関係のままユーモラスなやり取りを繰り広げつつ、山中の洞窟にこもります。小隊は狂気の隊長、虐殺対象の村民を「アカ」というカテゴリーにくくってひたすら非人間化しようとする副隊長(でも彼もまたそれが嘘であることを知りながら命令を遂行するためにそういう心理的操作をしているのかな?そんでそれが軍隊という場所なのかな?)、村人を非人間化できなくて引き金が引けず、処罰されてばかりいる若い新兵たちを中心に描かれます。 村に残った村人の老母と副隊長の会話が大変印象に残りました。同じ年頃の息子と副隊長を重ねる老母と、その老母をすら「アカ」として非人間化せざるを得ない副隊長。虐殺指令の向こう側とこちら側で虐殺するものとされるものが同じ理不尽をかみしめる、なんだかすごい場面でした。 全編墨絵のような、詩情あふれる画面で描かれる悲しい物語は全貌がわからず、そのものずばりが描かれないからこそ、観る者の想像と知らなければという思いを掻き立てました。 もともと戦前・戦中日本にいた朝鮮半島出身者は済州島出身者も多かったこともあり、この戦後韓国現代史のタブーとなった事件が、解放後も彼らが「帰れなかった」理由のひとつになったでしょうし、イデオロギーの苛烈な線引きがもたらした戦いはこの後も朝鮮半島を吹き荒れ続けます。 チスルを観ながら若いころ聞いた在日コリアンの知人の言葉を思い出していました。 「どうして日本はあのタイミングで降伏したのだろう。もう少し早ければ、ソ連の朝鮮半島北部占領はなかっただろうし、もう少し遅ければ、分断されてたのは日本だったかもしれない。朝鮮半島分断の歴史と深くかかわったのだから他人事じゃなく、この悲劇の成り行きを共に見守り、解決に向けて協力してほしい」 この悲劇は他人事ではなく、私たちに深くかかわる悲劇。 この虐殺指令がどういう経緯で出されたのかなど、知らなくてはならないことがまだたくさんあるように思いました。 ...
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