西方見聞録...マルコ

 

 

かぞくのくに - 2012年08月16日(木)

 今日は夏休みだ!ということで夜に楽しい集まりがあったりしたりしたんだが、その前にぽっかり時間が空いたので、ヤン・ヨンヒ監督作のかぞくのくにを観てきた。





 ちょっとネタバレあり!ご注意!
 お勧めなので,観にいくつもりのある人は観てから読んでね!






 ほんとうに同じ社会で暮らしながら、帰国事業と在日コリアンの<あの時>と<今>って、日本で広く知られてない。そこに北朝鮮や総連にすごく近い場所に生まれた監督が光を当てだしたわけだけど、その光が当たったところにはあまりにもごくごく普通の人の家族の営み(父は頑固では母フォローがうまくて娘は勝手で)があり、でも突然そこに持ち込まれる不条理(治療すれば治るのに治療の機会を剥奪される愛しい家族とか、明日帰ってこいとか)にもうどうしてくれるの!という監督の気持ちがすごくリアルに、じぶんだったらどうする?って感じで伝わってくる。

 映画に行く直前に偶然この蓮池徹さんの言葉を読んだ後だったので、帰国事業で北朝鮮に移住した人々の現在の状況って<拉致された>人々と似ていると思ったりもした。それはきっかけは強制連行といろいろな事情に追い込まれての移住と違いはあるけど、その結果としての現在の状況はとても似ているのではないか。(実際帰ってこないかぞくに会いに平壌通いを監督の家族は繰り返していたのは「ディア・ピョンヤン」や「愛しきソナ」に詳しい。)

 帰国事業で北朝鮮に移住した在日コリアンの人々は9万人。もうちょっと私たちは我が事としてこの離散家族に心を添わせることは出来ないか?「あのときのアボジの判断が間違ってたのよ!」だけじゃなくて。あのとき乏しい情報から地上の楽園と報道したり、日本社会でのコリアンが社会的上昇をあきらめねばならないような差別的な状態を作っていたり,もっと言ってしまえば朝鮮半島が分断してしまった歴史に深くかかわったという様々なレベルの「日本の関与」を思えば、この問題とまったく他人事のような顔してちゃいけないんでないか。

 指導者が変わって変化の兆しのある隣国を仮想敵国として遠ざけるのではなくて、せめて人々が自由に行き来が出来るような方向に持っていくのは私たち全体の利益として考えられないだろうか。

 ただ主人公のリエとソホンの家族の位置は多様化が著しいコリアンの中ではすごく特殊な場所ではあるとは思う。私の知ってるだけでも韓国と近い人、日本と近い人、朝鮮半島や日本より欧米に近い人ともう物凄いいろいろな立ち位置にコリアンの人々は立っているような気がする。またその場所は不断に選択され移動が可能にも思う。
 でもリエとソホンの父母のように、その北への忠誠が世界一濃いようなコリアンも北にわたった家族である簡単にあえない大切な人のために振り絞った忠誠なのではないだろうか。作中のオモニの言葉はすごくそのことを私たちにわかりやすく示していた。(「遠く離れた日本にいる母親は病を持つ息子に何もしてやれません。出来る事は祖国を信じることだけです」)

 二つの国の間にいる人が二つの国から守られず、排撃されるのではなく、二つの国の架け橋として二つの国から尊重される社会をつくっていけますように、そう願わずにはいられないリエとソホンとオモニとアボジの体温や息遣いが伝わるような映画だった。


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