西方見聞録...マルコ

 

 

隣人の語る声-公平と対等の狭間で - 2012年06月24日(日)

 ちょっと過去日記。あ〜日記が書ける日常よ、ウェルカムバック〜。

 この日は神戸在日コリアン保護者会さまが主催するこのリレートーク-在日四世世代の胸のうち-という催しに参上しました。

 これは今回第22回を迎える、上記の保護者会が主催する神戸・長田で人権教育に取り組む地域の教員や保護者の勉強会として行われた催しです。またこの写真展の最終日イベントもかねて行われたので、たくさんの人が集まりました。博論の調査時にお世話になったこの地域の先生方や保護者の会の皆さんが注目する中、20代から30代の比較的若いけれど、既に成人して自分の人生を切り開いていっている若い在日コリアンの皆さん5名が学校時代の思い出、自分のこだわっていることをリレー形式で語られました。

 わずか5人なのに、受けた教育も日本の公立学校,民族学校と多様で、コリアンであることの思いも一人ひとり全然違い、本当に同世代の(いや、私,ちょっと彼らの上行く世代ですか?)若者のリアルな物語として語りを聞かせてもらう貴重な経験でした。

 ここにとても良い紹介 ブログがありますね(後半部分ね)。当日の様子の新聞掲載記事も貼ってあります。

 私自身の心に残ったのは、劉さんの「チョゴリと浴衣の話」と張さんの「友だちを殴ってしまったとき先生が抱きしめてくれた話」です。とてもとても心に残りました。

 ここで二つの話を紹介しようかなと思っていましたが、でも実際に聞いたときほどうまく2人の気持ちを私が伝えられないような気がして、ちょっと控えます。でも全然対等でないバックグラウンドの子どもを「公平」に対することの不平等と、「対等」でないからこそ「配慮」と「励まし」が絶対必要な場面があることがとてもよくわかりました。

 また、5人から語られた、同世代の日本人から発せられる「在日コリアンへの無知」にあきれる、もしくは傷つく話も印象に残りました。
 どうして在日コリアンの人たちが日本に今暮らしているのか、それくらいは知っておこうよ、と強く思いました。
 この辺読んで歴史教科書-在日コリアンの歴史-


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