ホロコーストサバイバーたちの戦後 - 2012年03月04日(日) ちょっと大層なお題ですが、拙日記でも紹介しました「ベルリン1933」をどらちゃんもミクシ日記で紹介してくれました。(ミクシなので、読めない方もいると思います。でもどらちゃんの友人の友人まで読める設定になっています。わたしの友人設定の方は読めると思います。私と友人未設定の方はお声をおかけください。) で、どらちゃん日記のコメント欄で読者の皆さんからホロコーストの前後の時期を題材にした映画や書籍が紹介されていました。 *「ホロコースト 戦争と家族」 *「記憶を和解のためにー第2世代に託されたホロコーストの遺産」 *「5000万人のヒトラーがいた」 *「白いリボン」 *「善き人」 *「縞模様のパジャマの少年」 *「サラの鍵」 *「過去への扉を開けろ」 あ〜こりゃ読んでみたい、観てみたい、とおもいつつ、この時代から学ばねばならない時代に現在、自分達がいることを自覚します。 1950年代のアメリカの公民権運動の盛り上がりも、1960年代のカナダ多文化主義の歴史的転換(英仏路線から多文化路線への転換)も究極のレイシズムとして明らかになっていったホロコーストの衝撃とそれを繰り返すまいという社会的機運が背景としてあったといわれています。 私がカナダで出会った移民・難民受け入れを担当する教育省の幹部の女性は、戦後カナダに難民として移住したホロコーストのサバイバーを父をもつひとでした。移民・難民の母語・継承語や経験を資源としてすべての子どもの教育に生かすというカナダの教育を強く推進している人でした。 ホロコーストの悲劇とそれへの反省を現在の平和を築くための資源とした人々のように私たちは南京の悲劇と反省を私たちの資源と出来ているだろうか、と自問します。 かわむら市長のリコールの声が上がらない今の日本でそれが出来ているとはとても思えないのです。 ところでホロコーストのサバイバーの戦後としてあっちこっちの散っていったユダヤ系の人々の行った先にはイスラエルがあるわけですが、上記のどらちゃん日記のコメント欄でchieちゃんが「ケドマ」という作品を紹介していました。これもいつか見るリストに入れねば。 そういえば、イスラエル軍の暴力を告発する元イスラエル兵に焦点を当てた「沈黙を破る」というドキュメンタリー映画でパレスチナ難民キャンプとのが描かれていました。それを見たとき、「戦場のピアニスト」で描かれたワルシャワのユダヤ人ゲットーとパレスチナ難民キャンプの理不尽な暮らしの相似性に愕然としたことを思い出しました。 ...
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