燃える野火 - 2012年01月06日(金) さて、マツコデラックスのテレビ番組でのKPOPをめぐる排外主義的な発言(=「出てけ!嫌だったら出てけ!受け入れてやってんだよ」)がネット上で取り上げられています。まず私のツイッターのTL上はその排外主義的スタンスの物言いへの批判という形のコトバが流れました。何があったのか、と「マツコ」で検索をかけてみると「マツコ、よく言った!正論である」という排外主義的な発言への肯定言説がだだ流れしていました。 で、当のテレビ番組はどういうスタンスのどういう番組か、と検索してみると1月17日の放送の番宣ということでまだ放送自体が行われていないようです。 なんと言うか炎上マーケティングも極まれりという感じ。 (炎上マーケットってコトバもすごいけど炎をつけたり笑って傍観している人は何らかの利益を得るのかもしれないが、そこに燃やされて、痛くて怖くて傷を残している人がいることを考えるとものすごく怖くて長期的にマイナスの大きい商法ですね。) この番組自体がまだ放映されていないので、そこへの論評は避けます。それにしてもこう対韓国とそこに繋がる人・文化へのヘイトに満ちたネット言説はなぜもこんなにもあふれているのでしょう。そこで新年早々「韓国へのヘイト」という問題の背景についてちょっと書き留めておこうと思います。 「日本を一つに」の<絆>構築のために選ばれた他者 まあ国内が不安定になるとわかりやすい他者を排撃することで叩いてるもの同士の絆を確認しようとする。その絆生産のための排外主義的言説って言うのはあるでしょうね。イシハラ氏が震災直後の都知事選に勝利してすぐに口にした「パチンコ産業への攻撃」なんかもすごくわかりやすかったですが、冬休みの読書でうちのおKちゃんがよんでた「トパーズの日記―日系アメリカ人強制収容所の子どもたち」に出てきた第2次世界大戦中の日系人も、戦争遂行のアメリカ国内団結ために選ばれた他者だったのでしょうね。ドイツ系移民やイタリア系移民ではなくて日系移民が選ばれたのは可視化しやすくてわかりやすい他者だったからでしょうか。 日本は震災以降の不安定感の中で確かに絆を必要としていました。でも他者を作り出して叩くことでしか機能しないのは「絆」でなくて「枠」ではないでしょうか。ほっておくとぼろぼろと崩れる粘土のような主体だから枠(幻想の他者)を構築して中身を形作ろうとする。 本当の絆とは特定のヒトとの間の呪いのような宿命的なものではなく、また同質的なものを固めておく枠でもなくて、異質な人々を含む多様な人との間で、必要に応じて、結んではほどけていく結び目ーノットワーキングーであったほうが、なんか風通しが良くて多くの人が参加できて使い勝手がよさそうに感じています。 他者を排撃することでヘンな枠を作って粘土を固めたような絆で私を束ねないで。私は誰とでも結べるノット(結び目)をあっちこっち、たくさんこしらえながら生きて行きたいと思います。 ...
|
|