西方見聞録...マルコ

 

 

小豆島-過ぎて行く夏3 - 2011年07月30日(土)

 さて以前、こんなふうに二十四の瞳の再読感想を日記に綴っておりましたが、あれ以来、壺井栄、気になる人でありノロさんの小豆島旅行記の第4話第5話あたりを読んで、小豆島行って二十四の瞳映画村行きたいな〜と激しく思っておりました。

 そんで今回は旅行直前の斑鳩町の商工祭りであったノロさんネルさんご夫妻に旅の話を伺い、そんでもって参考図書随筆・小説 小豆島もお借りして、これは小豆島行ったら壺井栄ゆかりの地に行かねば気が済まぬ、と思っておりました。ところが、おKさんは「もう1日も海いきたい〜」とのたまうし、1号さん&あめでおさんにいたっては「またあのバスで福田港までかえるのしんどいから土庄から岡山行きのフェリー乗って、岡山でスイーツでも食べて新幹線で帰ろうよ」と言い出す始末。

 ええ〜ん、せっかく小豆島まで来たのに、もうこのメンバーでは二度とココ来ないよ!と母はオトナゲなくがんばり、なんとか二十四の瞳映画村に最終日参上することになりました。

 そんで若き日の大石先生は自転車で岬の分教場に向かいましたが、私どもは息子に手漕ぎ舟で分教場に送ってもらうラスト近くの晩年の大石先生を真似て渡し舟で映画村に参上しました。



お、見えてきたぞ、映画村。



そんで映画村はお土産ものありの映画セットありのちょっと面白い空間でした。



なぜか村の入ったところを流れる川には海の魚が居り、おKさん100円の餌を購入して海の魚とコンタクト中。コブダイさんと対話しておりました。



こんな二十四の瞳の像があったり、あと映画館では私たちが行ったときは高峰秀子主演の二十四の瞳が上映されていました。子ども達がアキレス腱を切った大石先生をお見舞いに来て、そんで大石先生が本校に転任しちゃう場面まで観ました。
あ、でもこの映画村は高峰秀子じゃなくて、田中裕子主演の二十四の瞳の撮影のために作られたオープンセットが土台になっています。




で、民俗資料館みたいな感じで昭和初期の民家が再現されていて、



ついに撮影セットとして作られた村の分教場へ。



中には教室が再現されていて、そこには田中裕子主演の二十四の瞳撮影で使われた自転車が展示されてあったり、写真パネルで大まかなストーリーが紹介されていたり、撮影秘話が紹介されていました。撮影秘話として小豆島の子も登場してもらおうと子役オーディションを行い、小豆島の子で小学校1年生と6年生の同性の姉妹、兄弟が募集されて分校時代(1年生)と5年後の本校時代(6年生)を撮影したのだと。

1年生と6年生の同性姉妹、、うちにいたな〜。当時小豆島の子どもだったら結構難しいオーディションの応募資格をゲットしていたのに〜。



このほか、レトロなお土産物屋があり、レストランでは昭和の給食が再現されて840円で売られていました〜。

また映画関連の展示場があって、最近小豆島で撮影された「8日目の蝉」に関する展示も多数ありました。「8日目の蝉」のポスターを見ながら、壺井栄の時代から「母」への社会からのまなざしの変容にしみじみいたしましたわ。(あ、でも「8日目の蝉」原作読んだだけで映画のほうは観ていないのでした。観なければ)



さらに敷地内にある壺井栄文学館では自筆原稿や壺井栄と夫、壺井繁治の書簡が見れます。また壺井夫妻の略歴が展示されています。小豆島の出身の二人がいかに文筆家への道をたどっていったのか、興味深かったです。あと壺井栄の近影を見ることができます。なかなかたくましくて頼りがいのありそうな女性でした。

そんでまた渡し舟に乗ってオリーブビーチまで戻り、そこからバスで再び福田港を目指し、行きと同じ経路で帰路に着きました。

なんか、、2児には母がなんでこんなに「二十四の瞳」にこだわってんのかわからないだろうし、私自身説明も難しいんだけど、この日の「ひっかかり」からいつか自分で壺井栄の本を手に取って、その世界に触れてほしいな、とおもいました。

こうして今年の夏の旅行は幕を閉じました。

私の人生の夏は過ぎていくけれど、やがてくるあなた達の夏があなた達らしく輝きますように。

さあて秋もがんがん攻めるぞ!ってまだ夏も終わってないし!




...



 

 

 

 

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