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困ってるひとー当事者主体 - 2011年07月14日(木) さて、困ってるひとについて語る再挑戦。7月3日に読み終わって心が熱いうちに、が〜と感想を書きましたが、あまりにも自分の興味にひきつけて書きすぎたとちと反省(題名もまちがってましたよね)。ちょっと心を落ち着けて再挑戦。 いろんな書評が出ました。朝日新聞もでました。 またTWITTERでも話題になったこのきたがわともこさんの書評は、テキストを丁寧に読まれた良い書評です。脱帽です。 そう、支援者を志してきた、そして今はその支援活動をテーマに研究しちゃってる私にとって、この本はとても衝撃だった。何にそんなに衝撃を受けたかと言うと、当事者(被支援者)と支援者のその非対称性が当事者側からかくも明快に丁寧に明らかにされたことに対してだ。 開発援助の業界で、ロバート・チェンバースらが当事者主体、住民参加型開発と言う言葉で開発、支援プロジェクトのオーナーはその地域に暮らす住民、当事者であり、支援者は当事者が自らの力で行う変革の触媒(カタリスト)にすぎないと世に宣言したのはもうずいぶん昔だ(チェンバースのRural Development: Putting the last first が出版されたのが1983年だからそのあたりから)。以来開発に携わる人はこの「当事者主体」と言う言葉を金言として胸に刻んできたはずだ。 でもでも、実際どうだろう。情報も資金もそして発する声の通り具合も支援者と当事者の関係はとっても非対称で、その中で行われる「当事者主体」の支援は本当に当事者主体でいられたのだろうか。 「困ってるひと」では難病者が選ぶべき道として下記の二つが示される。 1)決して永続はしない友人の善意や年老いていく両親の支援 2)そのモンスター並みの複雑さを持ってはいるが制度としての福祉による支援。 その道を選ぶにいたって、さまざまなアクターが登場する。 友人、両親、難病仲間、医者、行政のケアマネ でで、読んでてイタタタなのはやはり、支援者側の「自立」観が当事者のソレとすれ違いながら、すれ違ったまま強者として支援側が考える「自立」を当事者に押し付けようとする医者群像なのだ。(このイタイ感は全然他人事ではなくて、もとNGO女子として、現在も在日外国人活動現場の界隈を歩きながら、ぼんやりとした既視感とともに胸に刺さってくるイタイ感なのです) とりあえず著者はその良く響く声で当事者の望む未来を明確に提示し、その実現のために、福祉モンスターをハムスターくらいに弱体化してもうちょっと使い勝手の良い福祉制度設計の必要性を訴え、その戦いの第一歩としてこの本を世に送り出した。 この本を受け取った私たちに出来ることは、自らの身の回りの「当事者」の声に耳を澄まし、そしてさまざまなモンスターをハムスター変えるために何が出来るか、ともに考え、行動を始めることだ。 ...
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