![]() |
労働と対価 - 2010年12月20日(月) いろいろと書きたいことも多い毎日ですがうまく言語化しないまま雑務に追われ、来るべき締め切りに震え、いまいちな求人情報(大学教員就職戦線はこの時期結構山場なのよ!)に疲れてすごしております。 みなさまお元気ですか? さてわたしの思考のネタ振りお姐さんことどらちゃんがツイッタ上でこんなふうに、こんなふうに怒り、嘆いておられたので、おお、どうしたのだと怒りのもとを見てみると、どうもこの事件(陰口が表口になっちゃった話)の収束後のこのコメントとかコメントに原因がある模様。 事件本体に関しては問題はレストラン側にあり、その後の店の改善にかかわるところまで勝間氏の行いは立派で、忙しいのにえらいな〜、と思ってみていたのですが、最後でこの程度の収入ではこの程度の仕事しかしない(できない)という労働の対価に関するコメントにザラっときちゃうんですな。 お金がすべてじゃないのよ。 といってもあんまり心を打たないでしょうし、どうやったらこの労働の対価という問題に拝金、、というか経済指標を重視する方にもご理解いただけるように説明できるかちょっと考えてみました。 富永健一の「経済と組織の社会学理論」(1997、東京大学出版)なんて引っ張り出してまいります。富永は「社会参加、あるいは労働」を「資源投入」と「報酬」の交換という概念で説明しています。富永によるとこの労働によってえられる報酬には「外的報酬」と「内的報酬」があり、経済財の交換、つまり賃金の外的報酬だけでなく、キャリア形成報酬、情緒的報酬、自己効力感、組織のメンバーシップや社会的威信いった内的報酬というのも世の中には存在しているということです。 件の飲食店などの場合は「キャリア形成報酬」が織り込まれた報酬額でしょうし、私がもといた国際NGO業界なんかも博士号持っててもコロンビア大学の修士号持ってても月額15万円から25万円の給料なんてものすごいことになっていましたが、それもキャリア形成報酬(実務経験が必要な業界なので)や社会変革にかかわるという自己効力感という報酬がやり取りされた世界でした。どらちゃんがツイッタで介護士の夫さんの例を挙げ、「介護の人が『これだけしかもらってないんだからこれでいいや』っていい加減なことしたらどーなるんだ」と語っています。介護士さんの場合も利用者さんとの情緒的交流、やりがい、使命感、将来にわたる確実な求人数という安定感などの内的報酬の介在した業界なのかもしれません。 で、「お金がすべてじゃないのよ」で話を終わらせようかと思ったんですが、内的報酬が搾取の手段となりつつある現代について、もう一言付け加えておきます。 格差社会の問題点は格差上層があくなき強欲で自分達に有利なようにルールを作り変え続ける点にあると指摘したのはドーアの『働くとういうこと』(2005年中央公論社)ですが、外的報酬のみを人の能力の判断基準とする人々が企業経営やポリシーメイクの中央にあり、内的報酬を形骸化させ、安い賃金で人を買い叩く搾取の手段となりつつあることに深い憂慮を覚えます。 誰でも努力すれば社会移動ができた高度成長期を終え、低成長時代をむかえ、限られたパイの中で搾取する側に回ることを勝ちとするのではなく、いかに富裕層の強欲を抑え、社会全体の福祉を向上させるかが社会の課題になると私は考えています。 処方箋として累進課税の強化やベイシックインカム論なんてのが出てくるわけですがまあこれはまた項を改めて書きたいものでございます。 ...
|
![]() |
![]() |