西方見聞録...マルコ

 

 

インビクタス(ネタばれ注意!) - 2010年02月16日(火)

本日はおKちゃんの授業参観で『何でもチャンピオン』と言う子ども達一人ひとりが得意技を披露すると言う1年生の終わりの恒例行事に行ってきました。

 でも今日はその話でなくて、昨日の朝近所のシネコンで見たインビクタスの映画の話ですな。

 ネタばれ注意です!これから行く予定のある人はココから先は観たあとで読んで!
 すごくお勧めなので、ネタばれしないでね!
















































 インビクタスは南アでアパルトヘイト後の思わず復讐に燃えちゃいたい抑圧されてきた人々と、どうせ俺達は復讐されちゃうんだろ?ってかんじでびびってる抑圧してきた人々が民族融和に向けて旗を振るマンデラのもと何とかやっていこうかと言う時代、1995年が舞台。話はその年、南アで開催されるラグビーのワールドカップで、アパルトヘイトの象徴だった南ア・ラグビーナショナルチームを国を挙げて支援しようと呼びかけるマンデラ(モーガン・フリーマン)とその支援に答えアパルトヘイトの象徴から融和する南アの象徴たろうとするナショナルチーム主将ピナール(マット・デイモン)を軸に展開する。

 とにかく国際世界から疎外されて世界レベルから置いてかれていたラグビーチームがワールドカップで優勝するのがすごい困難なんだけど、困難を乗り越えて不可能を可能にしようとするピナールの姿に、こんなに憎しみあっちゃって融和なんて無理無理!だけどその不可能を可能にしようとするマンデラの融和への道が重ねて描かれる。

 ところでアパルトヘイトってコレまでいくつも映画化されてきたけど、すごくアパルトヘイトそのものを描くのって難しいな、と思ってる。

 映画っていくつもの魅力的なコンテンツがあって、忙しい現代人がその中から厳選してみるわけだから、商業ベースでビジネスをなりたたせてその上アパルトヘイトをちゃんと描くなんて出来るのかな?ってのが私のずっと抱いていた疑問だ。

 興行的にそれなりに成功を見た、「遠い夜明け」、「ワールドアパート」っとかってアパルトヘイトを背景にしているけど主題はアパルトヘイトじゃなくて「白人主人公のヒューマニズムへの目覚め」のような気がする。

 「白人のヒューマニズムの目覚め」で切り取られるアパルトヘイト映画では『見る白人』『見られるアフリカ系指導者』『改心した白人が見直すアパルトヘイトの現実』って構図が強固にあってその世界観で描き出される「救ってあげねばならない」=アフリカ系と「救わなければならない」=私たち(映画の消費者、であるところの人々)」って構図の再生産にちょっと懸念を持ってる(もちろんアパルトヘイトがそこにある!という警鐘の役割は大事だった。特に遠い夜明けの歴史的に果たした役割は大きかったと思う。だけど警鐘が必要な時代はもう終わってる)。

 最近の作、マンデラの看守はどうなのかな?明日ディスカスから届くはずなので、楽しみ。

 アパルトヘイト下で戦うアフリカ系高校生を描いた「サラフィナ」なんかはどういう風に世間=映画消費者は迎えたのだろう?大ヒットした?私はアレが公開された1992年はケニアにいて、ケニアで上司の家でサラフィナのビデオを見た。町のお医者さんとかいわいる町の上流階級の人々が集まったパーティの後みんなで見たんだ。みんなは涙流してみてたけど、主流映画消費者はアレ見て泣けたかな?あのケニアの友人達が(ワタシのいた町は独立闘争の激しく戦われた地域だった)サラフィナから受けた衝撃が全世界で共有されたとはちょっと思えない。

 で、ドラマチックな背景として扱われ続けたアパルトヘイトが、映画消費者の主流の人々に共感される形で、背景ではなく、そのものとして、そして商業ベースで成功できる形で、描かれるって可能なのかな?とずっと思ってた。で、私はこのインビクタスはラグビーを媒介にすることで、マジョリティが共感的にアパルトヘイトを体感するのに成功してると思う。

 インビクタスの映画世界ではアパルトヘイトはもうそこに存在していない。でもそれを乗り越える一見不可能に見える困難さによってたびたび明示的に、あるいは暗示的に描かれる。

 マンデラのプライベートな生活の孤独感、妻ウィニー・マンデラの不在、娘との不和にもそれは色濃く描かれる(マンデラとウィニーが当時どういう状況にあったかはこちらに詳しい。)

 そしてラグビーのシーン。

 「遠い夜明け」や「ワールドアパート」ではアパルトヘイトに仮託して白人のヒューマンドラマが描かれてきたが、インビクタスではラグビーに仮託されて「アパルトヘイト後のマンデラと南アの困難」が描かれる。

 決勝戦でもう絶対優勝なんて困難と思われていた南アナショナルチームがニュージーランドチームを相手に激しいスクラムを繰り返し、敵のタックルを乗り越えてゴールを目指す。ゴールを目指すどころか、ニュージーランドの悪魔的に強い選手があっという間にラインを破ってくるのを身を挺して阻止する。

 長い肉と肉がぶつかり骨がきしむようなシーンはラグビーのシーンではあるが、ラグビーではないもののイメージが仮託されている。

 さて、映画はナショナルチームの奇跡的勝利と人々の民族融和への明るい希望を描いて幕が閉じる。でもみんな知っている。そのあとの南アが今もまだどんな困難な状況にあるかってことを。映画の結末が明るければ明るいほど、今の南ア状況を思い、人々の胸はぎゅっとする。

 
 南アでサッカーのワールドカップがもうすぐ始まる。固唾を呑んで見つめようと思う。ワールドカップと、この国の未来を。

 


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