広島原爆忌 - 2009年08月06日(木) 8月6日ですね。 この日、1号さん、夕方制服着て学校に出頭するように命じられました。朝日新聞さんの取材だそうな。春の終わりの広島修学旅行で1号さんの班が献呈してきた「千羽鶴色紙」に現地を取材中の記者さんが目を留めて取材申し込みがあったのでした。その千羽鶴色紙は「在日韓国朝鮮人原爆慰霊碑」にささげられたもので、色紙にびっちりてんこ盛りにでも美しく折り鶴を貼り、真ん中にハングルで「평화」(平和)と書いたものだったのですが人目を引いたようです。 どの慰霊碑に色紙を献呈するかは学校側が割り振ったので1号さんの班が在日韓国朝鮮人慰霊碑に当たったのはたまたまだったのですが、ハングルまで調べてっていうのがポイントだったようです。 でもちょっと地味なテーマだったらしく、記事にはならずに没原稿になっちゃった模様。ザンネン! そんなわけで8月前半から最近まで、1号さんの記事が出てないかな〜と新聞記事をチェックしてたんですが、8月の新聞紙面つくりって広島(たくさん)、長崎(ちょっと)、敗戦記念日と記事の数の浮き沈みが激しいですな。広島関連の記事は6日まではわりとあるのにその日を過ぎると汐が引くようになくなっちゃうのでした。 まあ風物詩扱いであっても、生き証人がいるうちに話を聞く機会というのはあるにこしたことない、と思いました。 今年のNHK特集の「海軍反省会」(戦後海軍の首脳部が昭和55年から11年間100回以上集まって反省会開いてたんだって!)の記録テープから、開戦、特攻、東京裁判の裏で日本海軍のトップ「海軍軍令部」がどう状況判断をしてその行動をとってきたのかせまる、という番組をやっていたのでみました。本当に、なぜ、そのとき立ち止まれなかったのか。今平和な世の中から言うのは易しいことですが、どうしてそっち行っちゃったの?と思いました。また将来どっかヘンなところに全体が流れて行きそうなとき、ちゃんと私たちは声を上げられるのか、イラク開戦のとき私たちは適切に声を上げられたか、など考える機会は風物詩じゃなくて常にあるといいのに、と思いました。 またこんなページが某閉鎖空間で紹介されてたのではっときます。英語で写真つきで広島の被害が紹介されてそしてそのあと500を超える世界からのコメント(つうてもアメリカ人が多いのかな?)が載ってて、世界の広島へのコメント、興味深いです。 日本の残虐行為を止めるために必要悪の原爆、という意見もあるけど、必要悪というなら、また必要な状況が来たらその人は核兵器使用やむなしと思ってるんでしょうか?戦争行為はどれも非道なものではあるけれど、やはり市民を標的とした大量虐殺は人道への罪だと思います。もう2度とそれを使わない、それがない世界、を実現するために広島、長崎、そして世界の大量虐殺の犠牲になった市民への祈りを忘れないでいたいと思いました。 ...
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