西方見聞録...マルコ

 

 

カンダハール(ちょっと追記) - 2009年01月23日(金)

突然ですが、映画評。
あめでおさんのいない週末、ちかくのDVD屋さんに子ども用DVDを借りに行って1本だけ自分用に借りてしまいました。

うわさは聞いていましたが、終わり方にちょっとびっくり。

2002年
モフセン・マフマルバフ
ニルファー・パズィラ, ニルファー・パズィラ


 空爆前のアフガン。
 幼いころ、アフガンから逃れてカナダでアフガンの女性人権問題を追求するジャーナリストになった主人公が、地雷で足を失い国にとどまった妹から「今度の日蝕の日に自殺する」という手紙を受け取り約束の日までに約束の地カンダハールを目指す物語。

 イラン国境から帰還難民の家族にまぎれて目的地を目指すのだが、とにかく旅は迷走して思い通りにすすまない。そのジグザグ道中で出会っていく、イスラム神学校を放逐された少年、ブラックムスリムのアメリカ人医師、赤十字の義足キャンプの人々と理学療法士たち、義足でもなんでもほしい片手のおっちゃんとさまざまな人達が、非常に個性的。

 思い通りにならない道中の過ぎ去る風景こそがテーマになっているのか。

 時間を区切って目的を果たそうとしたら、ほんとに大変だろう。旅はいつも主人公の期待を裏切って思わぬ方向に転んでいく。

 落下傘で空から降りてくる義足、砂漠を旅する花嫁行列、そういう詩のような情景に目を奪われそうになりながら、3日後に妹が自殺してしまう、カンダハールを目指さなければ、とぎりぎりする主人公の他の登場人物とは異なる「時間感覚」に詩のような浮遊感は土へと引き戻される。

 空爆前のアフガンの情景を詩的に切り取った佳作。

 今、彼らはどうしているのか。





、、、なんて映画評を書いた後、他の人がこの映画評をしてるのを何本か読んで、この映画って何が言いたかったのかな〜と思ってもうちょっと追加します。





 映画で主人公はずっと録音テープに旅の記録を吹き込みながら歩いてます。絶望して死のうとしている妹に希望を伝えたくて。

 で、多分この映画は過酷な状況の中でもそこに生きてる人々が生きて、明日へと毎日を動かしていく、何か、「毎日を動かしていくもの」を、持ってる、ってことを伝えたかったのかな、と思いました。

 「毎日を動かしていくもの」、それは少年の唄だったり、ブラックムスリムの偽医者の求める神だったり、何でも欲しい怪しい片手の男の欲望、だったり。そしてアフガンの状況に怒りながら、それを告発しつつもカンダハールの随所に詩情あふれる映像をちりばめてしまう監督にも、過酷だけど、でも押さえられない毎日を動かしていく情熱=詩情を感じました。

 日々は過酷だけど、人々はちゃんと情熱を持って日々を生きている。だから、絶望して死なないで、妹よ。そして世界よ、この地とここに生きる人を忘れないで。

 そういう映画なのかな。

 主人公はほんとにアフガン難民としてカナダで暮らすジャーナリスト女性が演じてて、ほんとに妹じゃないけど友人から『死にます』という手紙をもらって、このイラン人の監督にこの映画の話を持ちかけたんだといいます。

 映画の主人公と同じように彼女は友人のところまでは行きつけない(この映画はイラン領内で撮影したし)。でも、絶望して死なないで、というメッセージを発しているのかな。

 しかしアフガン女性のブルカの下の『希望』は不可視のままでした。


 この映画の監督のマフマルバフ監督がこの映画を撮るより前に、タリバーンによるバーミヤンの大仏破壊を語った言葉を最後に紹介しておしまい。『アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない、恥辱のあまり崩れ落ちたのだ』つまり、「アフガニスタンの虐げられた人々に対し世界がここまで無関心であることを恥じ、自らの偉大さなど何の足しにもならないと知って(大仏は)砕けたのだ」

 

 


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