西方見聞録...マルコ

 

 

バックドロップクルディスタン - 2008年10月02日(木)

行っちゃいましたよ〜
朝マックならぬ朝バックドロップって感じで専門学校の講義前の午前の時間使ってナナゲイにダッシュですわ。

専門学校は来週から私、担当授業を隔週にしてもらって朝もびっちり講義入れることにしたので(そんで隔週はお休みにしてD論書くのだ)今日がもし映画行くとしたら最後のチャンスだったのよ。で、行ってよかった。しみじみとよかった。
ぜひ皆様も機会があったら行ってみてください。

以下ネタばれ
バックドロップクルディスタン
2007日本 監督 野本大
公式HPはこちら









2005年日本はUNHCRがマンデート難民認定をしたクルド人家族の父と長男を祖国トルコに強制送還する。1国によるマンデート難民の強制送還はおそらく世界でも空前絶後のことだった。この映画はそのクルド人家族の難民認定前から家族の友達として映像を記録していた若干21歳の映画専門学校生が強制送還による家族離散から第3国における家族再統合までを「友達」の視点から追い続けた物語である。

父と長男の強制送還の実行が支援者が用意した記者会見場で伝えられ母は失神しそうになり、野本に信頼を寄せていた長女は叫ぶ「日本人!あなたたちはかわいそうな人々!」

日本人は何がかわいそうなのか。

正直に言ってそんなにすごい映画とは思っていなかった。二十歳そこそこの野本監督は別に天才でもなんでもないその辺のあんちゃんとして登場してきて難民問題もクルド人問題もぜんぜん明るくなくて、無知であることを恐れ気もなく露呈しながら、しかしわからない、納得できないだから知りたい、と、友達のクルド人難民の家族が祖国を脱出しなければならなかった事情へと肉薄していく。

野本がトルコへ飛ぶトルコ編が出色。トルコの大地を「わからないから知りたい」と言うスタンスで東へ東へと長距離バスで移動していく野本が出会っていくトルコの人とクルドの人。迷走しているのに私たちは野本に憑依したかのように難民家族の背景へとぐいぐい迫っていくことになる。

直接的な暴力がなくてもトルコと同化しなければ生きられないクルドの現実。エスニックアイデンティティを捨て異を唱えなければいきられてもそれを「つらさ」と感じる自由は人間にはある。わかりにくい構造的な暴力として「差別と同化圧力」が見えてくると同時に、なぜ家族が命をかけて第3国を目指したのかが徐々に徐々私たちのに目の前に提示されていく。


強制送還された後、長男が15ヶ月の兵役を終えひとりトルコで「逃亡者の息子」として暮らしている。映画では触れられないが難民として他国に逃れた青年が逃れた国で兵役を受けると言うのはどういういことなのだろうか。日本編ではかっこいい兄ちゃんだった長男は体つきも顔つきもまるで別人みたいになっていた。野本は彼に出会い、家族の故郷へと旅をする。「トルコ人に生まれたことは幸せ」と言うスローガンがいたるところに書かれた町で野本は長男に聞く「クルド人に生まれたことは幸せ?」
「しあわせだよ!俺はこんな目にあって世界中のみんなのつらい気持ちがすごいよくわかるようになった。豊かな国の幸せな家に生まれて人の痛みもわからないで生きていく人生なんかよりずっと幸せだ!」

日本の記者会見場で「日本人!あなたたちはかわいそうな人々!」と叫ぶ長女の声がシンクロして聞こえる。

この野本と年の変わらぬ長男と長女の叫びに、構造的な暴力ではなく直接的な暴力を振るった日本の強制送還とそのシステムの内部で無知であることで暴力に加担し続けている自分自身が激しくバックドロップされる。

野本が媒介者として私たちにつたえる等身大の彼らの痛みや哀しみ、そしてその後家族再統合を果たした彼らの喜び、そういうものを一切知ろうとせず私たちの社会は難民家族を暴力的に日本から締め出した。最後に1家の父がニュージーランドの学校でクルド事情を語る場面が出てくる。生きた世界事情に触れる大切な窓を私たちは閉ざしたのだと改めて感じた。このままで良い訳はない。







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