西方見聞録...マルコ

 

 

塩田千春ー精神の呼吸展、つけたり大阪市立科学館 - 2008年07月19日(土)

 はい、本日は子ども二人と塩田千春ー精神の呼吸展に行ってきました。

 今回の展示で「DNAからの対話」(たくさんの靴が、赤い糸で一点に結ばれる)という作品で靴を一般から募って集めていたので、私は昨年のうちに2児の靴を提供していました。それでそのときその靴にまつわる思い出をコメントすることが求められていました。

 私のその靴への思い出はこんなモノでした。「5歳違いの2人の子どもが初めて共有した靴。上の娘が生まれたあと、あまりに労働環境が厳しいのともう絶対あんなイタイ思いは嫌だったので、2人目の子どもはいらないとずっと思っていた。1人目の子どもが大きくなってはけなくなった靴や着れなくなった洋服は親の敵のように捨てたりバザーに出したりしていた。もう絶対子どもは持たないという意思表示のように。でも歳月が過ぎ、2人目行ってみよう、という前向きな気持ちが天から降ってきて靴も洋服も処分するのをやめ、そして2人目の子どもを授かった。私が母であることを肯定的に受け止められるようになった、その転換をこの靴は娘の足元から見つめてた」
 まあ、そんな感じのことを(文章は違うけどね)、千代紙の折り紙の裏に書いて藤色のドレミちゃんのキャラクター靴を、この展示担当者の畏友のAkikoさんに託したんでした。

 でで、今回は数千足の靴が集まったので「見つけるのは難しいかも」という情報もあったんですが「メッセージつきの靴は前のほうに配置した」というAkikoさんからの情報を頼りに娘と3人で4往復して探しました。そうやって探していると、他の人のメッセージがどうしても目に入ります。11歳児は時々立ち止まって読んでいましたし、6歳児も「この靴にはなんて書いてあるの?」と説明を求めます。「巣立った息子が中学校時代夢中だった野球のスパイク」「人生最悪のとき僕を支えてくれた靴」などほんとにさまざまな思いがつぶやきのように靴から押し寄せます。そしてそろそろあきらめて「ねえあっちの黒い空間、いこうよ」と1号が言い出したとき

 あった!

 2本の柱が作品の間に立ってるんですがその作品に向かって立って、左側の柱の左前方にありました!ドレミちゃんの藤色の靴。前から3列目くらいでした。

 なんだかとっても不思議でした。私たちと一緒に毎朝保育園に行ってた靴がたくさんの知らない人たちのさまざまな思い出と一緒に、その中のひとつの<思い出>になってあそこで赤い糸とつながれて、違う存在へと移行しようとしている。私たちは玄関で脱ぎ散らかされたりしていた、その前の姿を知っているのに。でも毎朝ものすごい大騒ぎで準備して家族で保育園にかけていった記憶が、あそこで静止して、他の人のいろんな記憶と一緒にうかんでいるようで、しばらく3人で私たちの藤色の靴を見ていました。

 さて、そのつぎは1号さんが言う<黒い空間>、「眠りの間に」の展示場へ。

 今回の展示では私はこの黒い毛糸で部屋全体があまれてその中にあるたくさんのベッドに一番揺り動かされました。

 1号さんとおKさんは「このベットは誰がねむるの?」と非常にプリミティブなしかし核心をついた質問をします。「誰が、なんのために、このベットに眠るのか」2児に何とか答えようと脳みそを振り絞りながら「じゃあ1号ちゃんやおKさんは、このベットに寝るのは誰だと思う?どんなときだと思う?」と聞いてみました。

 1号さんの答えはこんなかんじ

「森の奥で妖精さんがたくさん集まって眠る場所」

おお〜さすが現役乙女。そうですか。

おKさんは?

「ハーマイオニーたちが寝てる部屋」

へ?あ、ホグワーツ女子寮は最後まで映像化されませんでしたもんね。

で、私はその乙女や乙女以前の人との会話の間考えていたのは「治療塔惑星」(大江健三郎)の最後に近いシーンで出てきた「繭コクーン・カプセル」の光景でした。それは30人の子ども達が黒い水に浮かべられた繭コクーン・カプセルに眠らせられて、地域核戦争や環境破壊で汚れてしまった地球と人々を救済するための治療塔のビジョンを受け取る、というシーンなんです。で、作品の随所にキーとして原爆ドームが地球の治療塔としての存在(宇宙には本物の治療塔があるんですけど)と描かれるのですわ。
(家に帰ってきて、治療塔惑星を読み返したら、若い頃読んだのと少し印象が違う話になっていてちょっと戸惑いました)


 そんなことをぼんやり考えていて1号さんに「で、おかあちゃんはこのベットは誰が何のために寝たベットだと思うの?」とストレートに聞かれて、どう答えようか、と迷った挙句「原爆で死んだ人や、戦争で傷ついて死んだ人の魂が、死んだあと眠っているベット、ここで悲しい記憶や痛みを癒して、またこの世に生まれてくることを望むのをゆっくり優しく待ってあげるベット」と答えました。

 1号さんは、こうの史代の「夕凪の町桜の国」を読了したばかりだったので、母の言いたいことがなんだか分かったようでした。

 その後、巨大泥のドレス「皮膚からの記憶」ではおKさんが「こわい〜大きい人が着るの?」とマルコにしがみついてきました。怖いかな?

 その後は写真展では「90年代のベルリン」の意味を説明させられる、なんて芸当まで子どもらは母に要求しましたが、それなりに楽しく子どもらにとっての現代美術初体験は終了しました。いや〜大人と一緒に行くほうがラクですが子どもにストレートにいろいろ聞かれながら回る美術館ってのもそれなりに楽しかったです。

 そのあと、お昼ごはんを大阪市立科学館のレストランで食べて、午後は科学して遊びました。橿原の子ども科学館が5倍の大きさになったような感じでした。あとそれにプラネタリュウムがくっついたって言うか。でもそこにいる人の数は橿原の1000倍くらいだったので橿原のほうがゆっくり見れたり体験できたりしていいかも。

 プラネタリウムでみた古代の海の恐竜の生態と恐竜の骨の発掘を営む古生物学者の話が交互に語られる映画がおもしろかったです。

 その後おKさんが「もう一度靴を見たい!」といったのですが、もう遅かったので、3人で天王寺まで出て、エスニック料理屋でマレーシア料理とか食べて帰路に着きました。なかなか盛りだくさんな1日でした
 
 


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