西方見聞録...マルコ

 

 

5年後、あなたとこの場所で - 2008年05月27日(火)



 さて本日はおKさんの保育園でおKさんの個人面談である。保育園児の日々の行状が先生から親へ、親から先生へ語られちゃう日である。まったくもう、おKさんてば何を語られちゃうのか、きっと爆笑エピソード満載に違いない。あめでおさんも興味しんしんで「おかあちゃんICレコーダーで先生の言うこと録音しといて」とか無理なお願いをする。

 で、予想通り爆笑で、先生と二人でおKさんの物真似をしながら「あの人こういう風に(目を見開いて鼻の穴を広げる)主張するんですよね!」とか「みんなといっしょのときはすごいしゃべるのに1人でスポットライトを浴びるといきなりしおれるんですよね」「あの元気スイッチとしおれスイッチの入り具合が漫画っぽいんですよね!」とぎゃはははと笑いあって、懇談終了。

 ふと先生と顔を見合わせ「そういえば私たち5年前もここでこうやって懇談しましたね」とマルコが言う。先生もうなづいて「あの時は大変でしたよね〜」としみじみとする。5年前1号さん年長児のとき、やはり担任してたのはこの先生だった。先生は第2子の育休を終えたばかりで町内の他保育園から移動してきて着任した5月だった。1号さんは前年度の秋に川崎から編入してきてまだ新しい保育園と新しい友達との折り合いがつかずに激闘していた。

 それでも前年度に比べれば毎朝「今日は行かない!」と泣く様なこともなくなり、マルコとしては1号さんは新環境適応に関してかなり進歩したので今日はなんと言って褒めてもらえるかしら、と思って出かけたのを覚えている。

 しかし先生は「まったく1号ちゃんは人見知り環境見知りで困りますね」と切り出しだのでマルコはびっくりして「すごい進歩したんですよ!昨年度は毎日泣いてるのを引きずるように保育園いったんですよ。だって1号は『お友達が日本語しゃべってない!』って言ってたんです。それが今では普通に関西弁しゃべってるじゃないですか!」と必死に擁護した。

 先生も育休明けの新保育園でいきなり年長組を持たされて、さらにその年の年長児ちょっと札付きの元気な学年で疲れもたまってた時期だったのだろう。その5月の面談の直後体調を崩して1ヶ月休職した、ということもあった。

 そう、とにかくあの頃、私もあなたも必死だった。私たちの前にげらげら笑いながら面談するなんて未来があるなんて思わなかった。

 「いやいやあのときはしんどかったですよね。それがお今じゃ、おKさんは最古参園児だし、先生も古株になっちゃったし。」というと先生も「マルコさんもまさか役員やるキャラとは思ってませんでしたわ。」とお互いの成長ぶりを寿ぐ。そう5年が経ったのだ。窓の外の青葉はあの頃と少しも変わらない。でも私たちはこの5年間でずいぶんと変わった。




...



 

 

 

 

INDEX
past  will

Mail Home